2012年7月29日日曜日

昭和記念公園の花火大会へ

いよいよロンドンオリンピック開幕 (^-^)/

開会式の花火も盛大でしたね~。

今日は夕方から昭和記念公園の花火大会に行ってきました。



綿紅梅の白地の浴衣。

数年前に購入したまま箪笥の肥やしになっていたので、今日が初おろしです♪

(白い浴衣って汚れが目立つし、透けるので、なんとなく袖を通すのがためらわれるのですね。)

透け対策には、洋服用のペチコートと浴衣用スリップを着ています。


帯は、お気に入りのシブ可愛いピンクとグレーの博多半幅帯。

帯と格闘の末、なんとか矢の字に結びました☆-( ^-゚)v



さて、立川駅の周辺は浴衣姿の人々であふれていました。

若い女性の半分くらいは、浴衣を着ていたんじゃないかな。

浴衣を着たチビッコたちも多かったし。

花火大会ムード満点でした。

夏はやっぱり花火と浴衣ですね~。

眼福、眼福(*^-^)b




昭和記念公園の中はすごい人なので、公園内には入らずに、某穴場でゆっくり鑑賞。

風が涼しくて気持ちよかったです。



今年は例年よりも打上げ時間が長いうえに、大きくて豪華は花火が多かったようです。

去年は自粛ムードだったものね。


こんな顔みたいな花火も。凝ってますね~。



夢ねこのしょぼいデジカメ写真ではお伝えできないけれど、実物はもっとダイナミックで、迫力満点で、美しかったです。

感動して涙が出るほど。

ほんと、こういうものをつくる日本人って凄いなあ。

夏の夜を満喫した一日でした。


2012年7月27日金曜日

祖母の手縫いの浴衣で

今日も暑かったですね~(^^ゞ

遠い昔、夢ねこが二十歳の時に祖母が仕立ててれた浴衣を着てみました。




反物の柄は、夢ねこが選んだのだけれど、当時から渋好みでしたね(*^.^*)

おかげで、二十年以上たった今でも、違和感なく袖を通すことができます。


浴衣が地味なので、赤い献上柄の半幅帯でピリッと引き締めて。
貝の口で結んでみました。

祖母はもうかなり高齢で認知症も患っているので、浴衣のことも、夢ねこのことも、覚えていないけれど、夢ねこの着物姿を見ると、とても喜んでくれます。


祖母がこの猛暑を乗り切ってくれますようにと、願いを込めて着てみました。

2012年7月19日木曜日

能楽講座:最終日は『敦盛』

水曜日の夕方、能楽講座の最終日に行ってきました。

面白い講座だったので、終わっちゃうのが寂しい~(T_T)



この日は、浴衣としても着られる綿麻紬に、麻の葉模様の半幅帯。

着物はプレタなので、身幅がかなり余っています。


良く言えば、早くも秋らしいコーディネート。

悪く言えば、暑苦しい色づかいでした。

やっぱり、夏に赤って涼しげではないですね~(反省!)。


今日の最終講義は『敦盛』でした。

中学か高校の古文の教科書で『平家物語』の「敦盛最期」を読んだときは、自分が敦盛と同年代だったので、そんなふうには感じなかったけれど、この作品は中世の少年愛嗜好が色濃く反映された作品だったのですね……。


当然と言えば当然なんだけど、やはりサヴァイヴァルには、「若さ」と「美」は欠かせない。

敦盛が「(熊谷直実の息子と同じ)よはひ程にて、容顔まことに美麗なりければ」、どこに刀を刺してよいのかもわからないほと、直実は困惑してしまう。


これが、たとえ我が子と同じ年のころの少年であっても、ブサイクだったら、迷わず斬っていただろうし、たとえ、かつてはイケメンだったとしても、むさ苦しい中年男になり果てていたら、これも躊躇なく斬り捨てていただろう。


やはり「美」と「若さ」がセットでなければ、助けたいという気持ちが湧きあがらないのだ。

そんな若さと美を兼ね備えた、そして戦場で笛を奏すという洗練された貴族趣味の具現者でもあった敦盛でさえ、東国の荒武者の刃にかかり、儚く世を去ってしまう。


都落ちをした平家一門の一ノ谷(須磨)での侘び住まいについての語りに在原行平の須磨での蟄居(「わくらはに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつ侘ぶと答へよ」)や、それをモデルにしたとされる源氏物語の須磨の巻の描写をダブルイメージとして組み込むなど、さまざまな仕掛けが施されていて、世阿弥の作曲って、本当に凝っている。


最後は、討った者(直実)と討たれた者(敦盛)が仏心を通して和解し、心を通わせる。


『敦盛』は世阿弥の比較的若いころの作品なのだろうか。

そこには人間に対する絶望感は微塵も感じられない。

このころはまだ、世阿弥は人間の善良なる心のようなものを信じていたのだろうか。

たとえ敵・味方であっても、心の交流が可能だと思っていたのだろうか。

佐渡に流された後でも、人間に対する信頼を持ち続けていたのだろうか。


今回の講座は、能楽と世阿弥に対する関心への入口となった、実り多き講義だった。


2012年7月11日水曜日

能楽講座:今日は井筒

水曜日の夕方から、能楽講座第2回『井筒』に行ってきました。



おそらく化繊の縮み風夏きもの。
頂き物なので、丈も裄も短くて、対丈で着ています。

おはしょりゼロなので、着くずれしたら、とーっても直しにくいのです。
ま、暑いから、風通しが良くなっていいかな、と。


帯は、麻混化繊の紗帯。
見た目も涼しげなので、とても気に入っています。


水色のレースの帯締めと、ディープブルーの帯あげ。
寒色系でまとめました。



今日の能楽講座は、世阿弥の複式夢幻能の代表ともいえる『井筒』の講義。

前半は、『新編日本古典文学全集――謡曲集(一)』((小学館)の『井筒』の講読。

後半は、観世寿夫の最晩年の名演をDVDで見ながら、講師の方の解説を聞くというもの。

観世寿夫の『井筒』は、もう、ほんとうに素晴らしかったです。


最後に、井筒をのぞき込み、「見ればなつかしや」と言って、3秒ほど水面を見つめるシーンが
あるのですが、その一瞬のあいだに、万感の思いや過去の記憶、愛しい人の姿、そして在りし日の自分の姿を垣間見る、その井筒の表情が儚く、哀しく、美しい。


能面ってほんとうに表情豊か。

否、名人にかかれば、これほど表情豊かに演じることができるのですね。


じつは、夢ねこは大学時代、劇作家で当時O大文学部の看板教授だった山崎正和先生の演劇学の講義を受けていて、その演習でお能を見たのですが、そのときは恥ずかしながら、途中で寝てしまったのです。(;^_^A
(はっと気づいたときは、シテが激しく舞う終盤になっていました。)


そんなわけで、能の良さがいまひとつ分からなかったのですが、夢ねこも、人生の折り返し地点を過ぎ、酸いも甘いも噛み分けるお年頃になって、能の素晴らしさがしみじみと感じ入るようになったのかもしれません。('-^*)/

講師で国文学研究資料館教授の小林健二先生に感謝です。