水曜日の夕方、能楽講座の最終日に行ってきました。
面白い講座だったので、終わっちゃうのが寂しい~(T_T)
この日は、浴衣としても着られる綿麻紬に、麻の葉模様の半幅帯。
着物はプレタなので、身幅がかなり余っています。
良く言えば、早くも秋らしいコーディネート。
悪く言えば、暑苦しい色づかいでした。
やっぱり、夏に赤って涼しげではないですね~(反省!)。
今日の最終講義は『敦盛』でした。
中学か高校の古文の教科書で『平家物語』の「敦盛最期」を読んだときは、自分が敦盛と同年代だったので、そんなふうには感じなかったけれど、この作品は中世の少年愛嗜好が色濃く反映された作品だったのですね……。
当然と言えば当然なんだけど、やはりサヴァイヴァルには、「若さ」と「美」は欠かせない。
敦盛が「(熊谷直実の息子と同じ)よはひ程にて、容顔まことに美麗なりければ」、どこに刀を刺してよいのかもわからないほと、直実は困惑してしまう。
これが、たとえ我が子と同じ年のころの少年であっても、ブサイクだったら、迷わず斬っていただろうし、たとえ、かつてはイケメンだったとしても、むさ苦しい中年男になり果てていたら、これも躊躇なく斬り捨てていただろう。
やはり「美」と「若さ」がセットでなければ、助けたいという気持ちが湧きあがらないのだ。
そんな若さと美を兼ね備えた、そして戦場で笛を奏すという洗練された貴族趣味の具現者でもあった敦盛でさえ、東国の荒武者の刃にかかり、儚く世を去ってしまう。
都落ちをした平家一門の一ノ谷(須磨)での侘び住まいについての語りに在原行平の須磨での蟄居(「わくらはに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつ侘ぶと答へよ」)や、それをモデルにしたとされる源氏物語の須磨の巻の描写をダブルイメージとして組み込むなど、さまざまな仕掛けが施されていて、世阿弥の作曲って、本当に凝っている。
最後は、討った者(直実)と討たれた者(敦盛)が仏心を通して和解し、心を通わせる。
『敦盛』は世阿弥の比較的若いころの作品なのだろうか。
そこには人間に対する絶望感は微塵も感じられない。
このころはまだ、世阿弥は人間の善良なる心のようなものを信じていたのだろうか。
たとえ敵・味方であっても、心の交流が可能だと思っていたのだろうか。
佐渡に流された後でも、人間に対する信頼を持ち続けていたのだろうか。
今回の講座は、能楽と世阿弥に対する関心への入口となった、実り多き講義だった。
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