2012年9月30日日曜日

『加賀の能楽名品』展

国立能楽堂に行ったついでに、特別展『加賀の能楽名品』展にも立ち寄ってみた。

 

兼六園の入口にある金沢能楽美術館所蔵の能面・能装束をはじめ、加賀百万石伝来の名品・優品が公開されていて、想像以上に見ごたえのある展示だった。

尾山神社所蔵の《悪尉(あくじょう)》の面は、「尾山神社を出ると雨が降る」という言い伝えがある秘蔵の面。

その昔、海中に沈んでいたこの面は引き上げられ、その際に面が謡をうたい、口より淡を吹き出したと伝わることから「淡吹の面」とも呼ばれる。

室町時代のもので、「ヤマト/ヒカ井モト/七郎作」という刻銘がある。


老翁の怨嗟や妄執を具現化した、背筋がゾッと凍りつくような怖ろしい面だ。
(*上掲パンフレットを飾るのがこの能面)


ほかにも、《小面》(「越智作〈花押〉/本/秦氏昭(花押)」の金蒔絵銘)や、《般若》(「天下一河内」焼印)、《曲見(しゃくみ)》(「天下一是閑」焼印)等々、どの面にもそれぞれの世界と思いとパワーが奥底に宿っていて、見ていると吸い寄せられるようだった。

人間の深い感情や情念をこれだけ見事に造形化するなんて、世界の文化を見ても、あまり類例がないのではないだろうか。


能装束の織の技術と意匠も素晴らしく、その文様にはさまざまな意味が込められていた。

以下はおもな作品の覚書。

《紅地入子菱松橘向鶴丸模様唐織》

丸文のなかに、阿吽の姿で向かい合う鶴が織り込まれている。阿吽は、万物の根元と究極、世界の始まりと終わり、つまりは無限を象徴する。鶴の嘴の上には若松、下には橘が織り表わされ、吉祥の意匠となっている。



《紅地幸菱椿折枝模様唐織》

繁殖力の強い菱は繁栄の象徴。椿は霊力を持つ聖木とされ、こちらもおめでたい文様が表現されている。


《濃茶地霞楓模様唐織》

濃茶地に、さまざまな色糸で楓が紅葉する様が織りだされている。錦秋にふさわしい唐織。


               
《薄茶地波鯉模様袷法被》

名物裂『荒磯緞子』を織り出したもの。竜門(黄河の上流にある竜門山を切り開いてできた急流)を泳いで登り切る鯉は竜になるという中国の有名な故事「登竜門」を文様化した立身出世の象徴。



《紫地籬(まがき)鉄線模様長絹》

落ち着いた紫の絽地に、鉄線唐草を金の錦糸で、鉄線を這わせる破れ籬を白の錦糸で織り表わした繊細優美な長絹。現代でも、こんな色柄の絽の着物があると素敵だなと思わせる作品だった。


『バーナード・リーチ』展でのコーディネート

この日は、ようやく30度を下回る「比較的涼しい」といわれる日でした。

とはいえ、「今までの厳しい残暑に比べると涼しい」というあくまで比較の問題。

もうお彼岸なのに、まだまだ暑かったです。



そんなわけで今日は、麻混ポリのちぢみにしました。

紅葉柄のこの着物は透け感がほとんどないので、 薄物から単への移行期にちょうどいいみたい。


半襟もようやく塩瀬に。
(さすがに、もう絽じゃやばいよね。)


帯は、紬地のなごや帯にしました。

この帯は比較的細めなので、単の時期の普段きものにぴったり (o^-')b


帯締めなどの小物も軽めだけれど、色合いで秋らしく(?)




余談だけど、『バーナード・リーチ』展や民藝展なので、来館者も 民藝好きの人が多く、紬や木綿の着物を着た人がたくさん来ているかなとひそかに期待していたのですが、この日は、着物率が非常に低く、いや、低いというか、和服姿は夢ねこひとりだけでした……。


(電車の中にも着物の人はいなかったなー。)


一般の人の着物姿に飢えているので、ちょっと消化不良。

10月に入ったら、増えるといいな♪


2012年9月29日土曜日

『バーナード・リーチ』展生誕125年 東と西の出会い

もう一週間ほど前になるけれど、横浜高島屋で開催されている『バーナード・リーチ』展に行ってきた。

 

リーチの作品は、アサヒビール大山崎山荘美術館や大原美術館などで何度か見たけれど、彼の作品だけをフィーチャーした展覧会を見るのは今回がはじめて。

            

20代の10年間に日本に滞在した時に制作した最初期の作品から、1920年に帰英した際につくられたセント・アイヴスでの作品、その後、日本各地の窯元をめぐって、それぞれのやきものの技法を駆使して生み出した晩年の作品など、陶芸作品およそ100点と、素描・版画作品約20点が展示されていて、非常に充実していた。

                   

             
リーチと言えば、ガレナ釉という黄色の鉛釉や、スリップと呼ばれる粘土と水を混ぜた化粧土をかけて文様をつけるスリップウエアの技法など、英国の伝統的な技法を駆使した作品が有名だ。


今回の展覧会にも、《ガレナ釉筒描具りフォン文大皿》など、ラスコーの壁画を思わせるような雄渾でプリミティブな味わいのある作品が紹介されていた。


そうしたダイナミックな作品も素晴らしかったが、個人的には、香合や白磁などの洗練された優雅で繊細な作品がとくに心惹かれた。


《呉須彫絵盒子》は、ブルーグレーの精妙な色合いの地に、パウル・クレーの絵のような抽象画が描かれた精緻な作品だ。他にも、オパールのような輝きを秘めた入れ物に、カタツムリの姿がうっすらと浮き上がる香合もあった。

             

《白磁縞手草文鉢》や《白磁平茶碗》の白磁の作品は、リーチの人間性を映し出すかのように気品のある凛とした佇まいをしていた。

ほんのりと青味がかった透明感のある白さは、まわりの空気をも清めてくれるような厳かな気配を漂わせていた。


セント・アイヴス窯でつくられたというから、この白磁の陶土もセント・アイヴスのものだろうか。


アイルランドの姫・聖イアにちなんで名づけられたセント・アイヴス。

聖女の土からつくられた聖なる白いやきものである。


                          

志村ふくみの名著『一色一生』に、リーチのこのような言葉が引用されている。


             
「昔は名もない職人が家具や陶器を作っていた。李朝の白磁を見ても、とうてい自分のものなど遠く及ばない美しさを持っている。現代という時代は、中世とは違う人間を作ってしまった。芸術家という化物に変ってしまった工人はどう身を処すればいいのか。

答えは展覧会でも、個展でもない。

一つの作品がもっと深いところで大きな存在につながっており、作者の精神と呼応し、一体となっている重大な点を見逃してはならない。「生命(いのち)」これが仕事の根幹である。写実の出来、不出来により生きているというのではなく、深い生命の根源につながっているかどうかということである。

人間には自然に具わった機能、頭・心・手があり、工芸はこれらを偏りなく使う数少ない営為の一つである。

工人が仕事をするとき、次の二つのことをしている。

一つは使って楽しく、役に立つものを作る。もう一つは、形の完成を目指す終りのない旅である。この二つの活動が合わさり、工人と素材と一つになったとき、ものに『生命』が注入される。」


たしかに、リーチの作品には、生命(いのち)が宿っていた。


2012年9月17日月曜日

池坊展でのコーディネート

池坊展にいったときのコーディネートです。



この日は、急に雨が降りだしたり晴れたりする不安定なお天気だったので、 塩沢御召風(?)ポリの着物。

帯は、以前ちょこっとだけお茶を習っていたときに、社中の先輩からいただいた菊柄の名古屋帯。

やわらかくて締めやすいので、愛用しています。
(先輩、ありがとうございます!)


池坊展と画廊を観てまわった後、呉服売り場にも行ってみたのですが、 そのとき、親切な店員さんが帯締めの結び方を直してくださいました。

(上の画像は、帯締めを直していただいてからのもの。)



やはり夢ねこの結び方は間違っていたみたい (>_<)

(丸組だと目立たないのですが、平組にすると結び方のアラが分かりますね。)



↓夢ねこ用帯締めの正しい結び方

http://www.sgm.co.jp/kituke/01aeaeo/04aoaeuaeaoieoeeoe/













2012年9月16日日曜日

困った時の献上博多

着物や帯や小物に悩むこの時期。

とりあえず、困ったときは「博多頼み」。



変わり織りの献上なごや帯を締めてみました。

着物は、秋口にヘビロテ中の藍染綿縮。


じつはこの縞献上の帯、 届いたときは、いかついイメージで「失敗したかな~」と思ったのですが、
締めてみると、なんとか使えそうです。




博多帯は、一昨日、NHK教育テレビの『花鳥風月堂』で

雪乃さん(檀れい)が締めていた白い献上博多が素敵でしたね。

http://www.nhk.or.jp/koten/japanese_art/01/



まあ、雪乃さんの着物は何でも素敵なのですが。

今度は、もう少し甘めの女らしい献上柄がほしいと思う夢ねこでした。

2012年9月15日土曜日

あたらしい着物暦を!

9月半ばとはいえ、連日30度越えの残暑の厳しい東京。

とりあえず、小物だけは秋ものにしてみました。



着物は、ようやく出番が回ってきた浴衣兼用の綿麻紬。

(7月に着た時は暑苦しい色だった~。)

                
帯は、曖昧な時期に活躍してくれるポリ献上のなごや帯。




下の画像は、帯揚げを明るい黄色に変えた例。

上の画像の、くすんだ緑色の帯揚げだと落ち着いたイメージ。

下の黄色の帯揚げだと、顔映りがぱあっと明るくなります。

よく言われることだけど、帯揚げひとつで印象は変わるものですね。



それにしても、ここ何年かで気候ががらっと変わったし、もともと着物の暦って、太陰暦にもとづいているから、 現状に合うように着物暦をフレキシブルに改変して、9月にこそ夏着物を楽しんでもいいんじゃないかなー。


群ようこさんも『きもの365日』で、

「新しいきものの衣更え暦が必要だ、というか、もう、あまり、礼装以外はきちきちすぎるのはやめましょう」

と書いていらっしゃるけれど、まったく同感。



着物って、ほんと、決まりごとばかりで (とくにお茶の世界の着物などはがんじがらめで)挫折しそうになる。


9月いっぱいは浴衣もOK、ぐらいに、もっと気楽・気軽に、着物を楽しめるようになればいいのにと切に願います。

2012年9月7日金曜日

端境期を半幅帯でしのぐ!

東京は今日も33度を超えましたね~。

前回書いたように、残暑厳しい9月、帯と帯締めに悩む夢ねこです。




窮余の策として、半幅帯を使ってみました!


(着物は、先週も着た藍染木綿のちぢみ。)


この博多織の半幅なら、横に何本かラインが入っているので、

帯締めがショボくても目立たないかな~という、苦肉の策です (;^_^A



この機会に、帯締めについていろいろ調べてみましたが、

ほんと、奥が深いですねえ……。


たかが紐だと、完全にあなどってました (*v.v)。


集めた情報によると、素人と着物通を見分けるには、

帯締めとか、振りからチラリと見える襦袢とか、草履とかがポイントになるとのこと。


その通りですねー。

ビギナーだと、そこまでなかなか気が回らない、

というか、着物と帯でいっぱいいっぱいで、そこまですぐには投資できない、

というのが実情です (T_T)



冠組の帯締めが気になっていろいろ見ているのですが、

やはり中国製の安物は、見るからに糸目が甘く、染色も工業的でどぎつくて、

安っぽい。


道明などのいいものは、目が詰まっていて、形状も端正に整い、

色合いも繊細。

清楚な貴婦人のように洗練されていて、見ていてウットリする。



少しずつ目が肥えてくると、いいものはいいなあと思うようになり、

それにともない、出費もかさんでしまうのですね……。


まあ、少しずつ揃えていきましょう。

(といいつつ、大人買いしたい衝動に駆られる夢ねこです。)



帯締めの選び方にはいろいろあるけれど、

帯の色目と反対色を選ぶと、ピリッとスパイスの効いたコーディネートになるそうです。


夢ねこは、淡い上品な色はあまり似合わないので、

このテクニックは使えそう。

2012年9月1日土曜日

大英博物館・古代エジプト展へ

9月の第1土曜日、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで

開催されている『大英博物館・古代エジプト展』に行ってきた。



上野の『ツタンカーメン』展の陰に隠れて、いまいちマイナーだけれど、

ミイラ数体に人形棺、スカラベや心臓形護符、ファラオの宝飾品や副葬品、

黄金のミイラマスク、オシリスの神像や書記官の像など、とても見ごたえがあった。


なかでも圧巻は、

『死者の書』が描かれた世界最長のグリーンフィールドパピルス。

37メートルものパピルス(もとは巻き物だった)が一挙に公開されていた。


エジプトの『死者の書』とは、死者が再生・復活を果たし、永遠の生命を得る

ための呪文が描かれた、冥界の旅のガイドブックだ。


グリーンフィールドパピルスでは、「冥界の王オシリスを礼拝する場面」から

始まり、「ミイラとなって墓に運ばれる場面」、「口開けの儀式の場面」へと続く。


口開けの儀式とは、死者が供物を食べたり、冥界での問答に答えたりできるように

手斧でミイラの口を開ける儀式のこと。


さらに、冥界の旅の行く手を遮るワニやヘビを退治した後、冥界の王オシリスが

玉座に坐す、有名な『審判の場面』が描かれる。


ここでは死者の心臓が天秤にかけられる。


天秤の片方には、真理の女神マアトの小像。

サギの頭をしたトト神(書記の神様)が、天秤の傾きを記録し、

山犬の頭をした墓の神アヌビスが目盛りに見入る。


天秤がわずかでも傾けば、死者の神像はアメトド(ワニの頭とワイオンの胴、

カバの下半身をもつ怪物)に食べられ、死者は二度目の死を迎え、

未来永劫、復活への道が閉ざされる。


しかし、『死者の書』には、二度目の死を避けるための呪文もちゃーんと

用意されているのだ。


『死者の書』っておどろおどろしいイメージがあるけれど、実際には、

死んでも大丈夫ですよ、いろんな困難が待ち受けているけれど、

呪文がいろいろあるから、最後にはきっと永遠の命を手にすることができますよ、

という明るくポジティブな手引書なのである。


それに、この審判のなかには「罪の否定告白」というものが含まれていて、

生前に「理由なく怒らなかったか」とか、「決して悲嘆に暮れなかったか」とか、

「人を中傷したことがなかったか」とか、「嘘をつかなかったか」といった42の

罪に対して、すべてを否定しなければいけない。


よほどの聖人君子でも生きていれば、嘘をつくこともあるし、人の悪口を言うことも

あるし、機嫌が悪くてプリプリすることもだろう。


つまり、誰もが何らかの罪を犯しているはずだから、罪を否定することは、

「真実の場で嘘をつかなかったか」という問いに対して嘘をつくことになり、

どのみち罪を犯すことになってしまうのだ。


これが仏教ならば、閻魔さまに見透かされて、舌を抜かれてしまうところだが、

どこまでもシラを切り通すことで、めでたく冥界の王の裁きをクリアできると

思うところが、古代エジプト人の楽天主義なのだろう。


また、古代エジプト人は「イアルの野」という楽園で、農耕生活を営むなど、

現世と変わらない生活を営むことを願ったのも、日本人の極楽観とは

違っていて面白い。

それほど、ナイルの恵みって豊かだったのだろう。

(ただし、王墓の副葬品の中には、死者の労働を肩代わりする「シャブテ」という

彩色された埴輪のような人形もあったので、やはり王侯貴族はあの世でも

労働とは無縁な優雅な暮らしを営むことを願ったのかもしれない。)



それにしても、展示品のほとんどは2000~4000年前につくられた、

木やパピルスなどの紙でできた品々だったが、保存状態がとても良く、

これほど見事な形で残っているのは奇跡のようだった。


エジプト文明崩壊後、ナイル川流域の砂漠化が急速進んだことと、

英国支配下のもと、数多くの遺跡が持ち去られ、

大英博物館で厳重に保管されたことが大きく関係しているのだろう。


こと文化に関しては、欧米による植民地支配がその保存に大いに

貢献したと言わざるを得ない。

英国の支配を受けていなければ、今頃は、偶像崇拝を禁止するイスラム過激派に

こうした遺跡はことごとく破壊されていただろう。


(残念ながら程度の差こそあれ、同じことが日本にもいえる。

明治維新後、日本文化を高く評価したのは、一部の審美眼のある日本人を

のぞいて、欧米の芸術家や美術史家、コレクターたちだったのだから。)


いまこうして、東京で、これほど完璧な状態で目にすることができるのも

そうした歴史の偶然(必然?)や、遺跡の発掘者・解読者・保管管理者など

さまざまな人々の努力のたまものなのだ。


ちなみに、ミイラは包帯に巻かれていたけれど、やはり薄気味悪く、

一瞬意識が遠のきそうになった。

寒々とした冷気が漂っていたような……。




六本木ヒルズでは、「ギザの三大ピラミッドカレー」(2200円也。高っ!)など、いろんなコラボレーションメニューが用意されていた。

ほかにも、「クレオパトラ」や「ファラオ」というネーミングのカクテルや、

ケバブセットなどがあった。


エジプトといえば、クスクス料理しか食べたことないから、

カレーではなく、もっと本場のエジプト料理があればよかったかも。





追記:ミュージアムショップでジュート(黄麻)製バッグが売られていた。

これで夏帯をつくったら、味わいのある面白い帯になりそう。