リーチの作品は、アサヒビール大山崎山荘美術館や大原美術館などで何度か見たけれど、彼の作品だけをフィーチャーした展覧会を見るのは今回がはじめて。
20代の10年間に日本に滞在した時に制作した最初期の作品から、1920年に帰英した際につくられたセント・アイヴスでの作品、その後、日本各地の窯元をめぐって、それぞれのやきものの技法を駆使して生み出した晩年の作品など、陶芸作品およそ100点と、素描・版画作品約20点が展示されていて、非常に充実していた。
今回の展覧会にも、《ガレナ釉筒描具りフォン文大皿》など、ラスコーの壁画を思わせるような雄渾でプリミティブな味わいのある作品が紹介されていた。
《呉須彫絵盒子》は、ブルーグレーの精妙な色合いの地に、パウル・クレーの絵のような抽象画が描かれた精緻な作品だ。他にも、オパールのような輝きを秘めた入れ物に、カタツムリの姿がうっすらと浮き上がる香合もあった。
《白磁縞手草文鉢》や《白磁平茶碗》の白磁の作品は、リーチの人間性を映し出すかのように気品のある凛とした佇まいをしていた。
ほんのりと青味がかった透明感のある白さは、まわりの空気をも清めてくれるような厳かな気配を漂わせていた。
セント・アイヴス窯でつくられたというから、この白磁の陶土もセント・アイヴスのものだろうか。
アイルランドの姫・聖イアにちなんで名づけられたセント・アイヴス。
聖女の土からつくられた聖なる白いやきものである。
志村ふくみの名著『一色一生』に、リーチのこのような言葉が引用されている。
「昔は名もない職人が家具や陶器を作っていた。李朝の白磁を見ても、とうてい自分のものなど遠く及ばない美しさを持っている。現代という時代は、中世とは違う人間を作ってしまった。芸術家という化物に変ってしまった工人はどう身を処すればいいのか。
答えは展覧会でも、個展でもない。
一つの作品がもっと深いところで大きな存在につながっており、作者の精神と呼応し、一体となっている重大な点を見逃してはならない。「生命(いのち)」これが仕事の根幹である。写実の出来、不出来により生きているというのではなく、深い生命の根源につながっているかどうかということである。
人間には自然に具わった機能、頭・心・手があり、工芸はこれらを偏りなく使う数少ない営為の一つである。
工人が仕事をするとき、次の二つのことをしている。
一つは使って楽しく、役に立つものを作る。もう一つは、形の完成を目指す終りのない旅である。この二つの活動が合わさり、工人と素材と一つになったとき、ものに『生命』が注入される。」
たしかに、リーチの作品には、生命(いのち)が宿っていた。
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