東京に、これほど豊かな民俗芸能が生き生きと存続していたとは!
いやあ、新鮮な衝撃でした。以下は印象に残った出演団体の覚書;
●江戸の里神楽(山本頼信社中/稲城市)●
式内穴澤神社の神職および神楽を代々継承する社家・山本家の社中による里神楽。
この里神楽は、中世の巫女舞を起源とし、江戸中期に古事記などの神話を題材にした黙劇に、衣裳や面、振付をつけて演じるようになったという。
現在の当主は十九世山本頼信氏で、平成6年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
今回上演されたのは「天の浮橋」。
イザナギ・イザナミが高天原の神からアメノヌボコという矛を授けられ、舞いながら大海に矛を刺し下ろす。引き揚げられた矛から雫が落ち、それが固まってできたのがオノコロ島。その後、イザナミは数々の神々を産むが、最後に火の神を出産した際に、火傷を負って黄泉の国へと旅立っていく。イザナギは愛する妻を連れ戻すべく、黄泉の国へ向かう――というストーリー。
イザナギの面がとってもハンサム。
イザナミは、おかめ風の顔立ちで、おっとり穏やかな雰囲気だった。
男神・女神が手を合わせて、矛で海水をかきまぜる仕草には、見ていて少し恥ずかしくなるような、土着的なエロティシズムが漂う。
なるほど、これが多神教ならではの神話の世界なのだと思った。
足の運びはすり足だし、囃子も笛と太鼓と羯鼓のような打楽器という、宮中御神楽(雅楽)や能楽的な要素を持ちながらも、素朴なところが里神楽の醍醐味だと思う。
大國魂神社などの神社祭礼で、奉納されるそうだから、今度ぜひ神社で見てみよう。
●武蔵御嶽神社太々神楽●
武蔵御嶽神社の太々神楽は、「素面神楽」と「面神楽」に大別される。
今回、上演されたのは素面神楽の「奉幣」、「剪」と面神楽の「天孫降臨」。
「奉幣」はジャンル的には素面神楽だけれど、現在は翁面をつけ、右手に鈴、左手に御幣を持ちながら、舞台の中央と四方を祓い清めながら舞う。
ただし、足踏みをして四方固めをするような動きをしないのが印象的だった。
「剪」では、左手に太刀、右手に鈴を持った2人の男性が、相舞のように舞いながら邪気を祓っていく。神聖で厳かな雰囲気の雅楽のような舞に会場も静まり返っていた。
「天孫降臨」では、サルタヒコとアメノウズメが鈴舞を舞い、ニニギノミコトを先導する。サルタヒコは天狗面をかけ、アメノウズメは目がぱっちりした若女のような面をつけ天冠を被り、紅入唐織に大口といった能装束のような出で立ち。
足の運びも、サルタヒコとアメノウズメは、斜め方向に爪先を突きだす独特のすり足で、ニニギノミコト(端正な貴人の面をかけ、高貴な紫の衣を着て、笏を持っている)だけが能楽風の踵を床から離さないすり足だった。
囃子の構成は、笛2人と太鼓1人に羯鼓が1人。
翁舞や能装束に似た装束、すり足や囃子方など、能の原形のような神楽は興趣が尽きない。
●数馬の太神楽●
(西多摩郡檜原村九頭龍神社9月第2日曜の例祭で奉納)
伊勢神楽の系統に属するという数馬の太神楽。
今回は、「天の岩戸」伝説をモティーフにした剣の舞が上演された。
一人立ちの獅子が、2本の太刀で舞いながら悪魔払いをするのだけれど、この舞がなんともコミカル!
剣舞って勇壮なイメージだけれど、そうした豪快さとはかけ離れていて、ふざけたように体をくねらせ、足を小刻みに動かしながらチョコチョコ歩く、一方変わった(ある意味前衛的な)舞だった。
伊勢神楽ってこういう感じなのかなー。
でも、重さ4~5kgもある獅子頭をかぶってステージ中を動き回るので、演者の方はハーハーと辛そうな息をされていた。
きっと見た目の何十倍もハードなのだろう。
●江戸太神楽(丸一仙翁)●
1日目は獅子舞を上演。
2日目は、大雪被害のため「川野の車人形」保存会の方々が参加できなくなったので、丸一仙翁の方がたが獅子舞に続いて、曲芸を披露して下さった。
最初は傘に毬を載せてまわす曲芸。
一通り毬を載せて回した後、丸一仙翁さんが「客席から毬を投げてください」と最前列に座っていた私に毬を回したので、私がテキトーに毬を投げると、見事に傘でキャッチして回してくれました。
その後、茶碗や枡を傘で回す芸から、輪投げみたいな曲芸を経て、花籠毬(別名どんつく)という変わった芸へ。
どんつくは説明が難しいので、こちらをご覧ください。
剣玉よりもはるかに複雑で、難しそうな曲芸です。
江戸時代から脈々と伝わっている芸。
ずっと続いてほしいです。