2013年12月29日日曜日

茶道具取り合わせ展・「破袋がすごい!」

年末でバタバタしているので、メモ書き程度の記録になってしまいますが、

一週間ほど前に、五島美術館で開催されている「茶道具取り合わせ」展に行ってきました。


信長が本能寺に寄進したという唐物文琳茶入(銘・本能寺)や、鼠志野茶碗(銘・峰紅葉)(重文)、小倉色紙(藤原定家筆)、芦屋真形霰地紋釜(利休所持)など、いずれも超名品ぞろいでしたが、なんといっても白眉は古伊賀水差(銘・破袋)でしょう。

これはもう、ひびが入っているというレベルではなく、相当割れています。壊れています。破壊の極致です。
「水差」というけれど、はたして水を溜めることができるのでしょうか。
ぜったい漏れてくるように思えます。

そんな水差しとしての機能も果たさないような用の美でもない、どう見ても失敗作、処分すべき作品ともいえる器を、桃山の茶人は「美しい」と絶賛し、現代の日本人も「これこそ日本の美」と称賛して、重要文化財に指定したのです。

すごいではないですか、日本人の美意識って。
前衛的すぎます。 摩訶不思議すぎます。 
面白すぎるのです、日本人の美意識のユニークさが。


また、龍村平蔵製の名物裂手鏡なども展示されていて、着物好きには参考になりました。

展覧会場の入り口に陳列されている伝運慶作の愛染明王坐像も必見。
これほど美しく迫力のある愛染明王は見たことがないかも。
それも、かなり間近に見ることができるのです。
これほど間近に見れるように展示されていることも美術館では珍しいでしょう。

そんなわけで、小規模な展覧会ながら、かなり充実していましたが、会場が暗すぎるのが難点でした。
作品の劣化や褪色を恐れての処置だとは思いますが、せっかくの名品の展示なのだから、LEDにすれば劣化は防げるので、(サントリー美術館や東博のように)もう少し明るく見やすくしてくれたらなーというのが切なる願いです。

「印象派を超えて 点描の画家たち」展

もう2週間前のことになるけれど、国立新美術館で開催されていた「印象派を超えて 点描の画家たち」展(クレラー=ミュラー美術館蔵作品を中心に)に行ってきた。



「ゴッホ、スーラからモンドリアンまで」というサブタイトルが示すように、分割主義という科学的・理知的な点描画法を開拓したスーラや、それをさらに発展させ理論的に体系づけたシニャック、そして彼らの点描画法を感覚的に取り入れたゴッホの作品が豊富に体系づけられていて、それなりに面白い展覧会だった。

画家たちが色彩分割(筆触分割)によって「見ることの主観性」を追求した結果、最終的にたどり着いたのが、あらゆる無駄をそぎ落としたモンドリアンの《コンポジション》。

赤と青と黄色と黒と白で構成されるモンドリアンのコンポジションはいくつかのヴァージョンがあるけれど、今回展示されていた《赤と黄と青のあるコンポジション》は、「less is more(簡素であることが豊かである)」を体現した究極の絵画だと思う。

モンドリアン《赤と黄と青のあるコンポジション》1927年

画面は大きさの違う四角で構成され、四角の中の色彩のほとんどが白で、赤が10分の1程度、青はアクセント程度で、黄色はあるかないか分からないほどほんの少し。
でも、この色彩の分量と配置が絶妙なのだ。
黒いラインの太さまで、緻密に計算されている。

赤が欠けても、青が欠けても、この絵は成り立たない。
一見、存在感が薄いように見える黄色でさえも欠けてしまうと、この精妙なバランスが崩れてしまう。
この神業的なセンスと構成力は感動的だった。

モンドリアンの展示室では、モンドリアンの作品とは到底思えないほど没個性的かつ凡庸な初期の風景画も展示されていて、彼がさまざまな紆余曲折・試行錯誤を経て、かつて描かれたことのなかったミニマリズムの極致ともいえる絵画にたどりついたことがよく分かるようになっていた。
人生はこうでありたい。


スーラやシニャック、ゴッホの作品など、見ていて勉強になったけれど、個人的に好きなのはオランダの象徴主義の画家ヤン・トーロップ(《オルガンの音色》など)とヨハン・トルン・プリッカー

ヤン・トーロップは筆触の粗い作風のものもあるので、今回の展覧会では分割主義の画家として展示されていたけれど、作品から醸し出される情緒は象徴主義以外の何ものでもない。
静謐で神秘的で、どこか妖しい怖さのある絵が多かった。

プリッカーの絵はステンドグラスを思わせる神聖な宗教画。

この2人の画家の作品が一番気に入ったので、ポストカードを買おうとすると、ないのですね。
いつものことだけれど、私が気に入ったマイナーな画家の作品はポストカードになっていないことが多いのです。 

またどこかで会いましょう。ヤン・トーロップとヨハン・トルン・プリッカー。





2013年12月23日月曜日

カトリック神田教会

前から気になっていたカトリック神田教会。

宝生能楽堂から徒歩十数分くらいの場所にあるので、とある日曜日に足を運んでみました。


マックス・ヒンデル設計。竣工は1928年。

3廊式のバシリカ様式で、関東大震災後の復興期に建設されたため耐震耐火構造を備えているそうです。




入口には聖母子像が。

内部は撮影禁止だったので、画像はないですが、日本の都心にこれほど荘厳な宗教空間があるとは思えないほど、おごそかな空間でした。

筒形ヴォールトの身廊を縁取るように列柱が配され、側廊の壁面は聖書の主題を描いた美しいステンドグラスで埋め尽くされています。
光が透過すると、宝石箱のよう。


右わきの祭壇には、日本の守護聖人であるフランシスコ・ザビエルの聖遺骨が、左わきにはルネサンス期のイコンが安置されています。

また、二階楽廊にはドイツ製のパイプオルガンがありました。
私が行った時は礼拝中ではなかったので、残念ながらその音色を聴くことはできませんでしたが、今度は是非聴いてみたいと思います。

奥の中央祭壇には、両脇に大天使ミカエルとガブリエルを配した十字架が安置され、その背後には聖母子や諸聖人、そしてちょんまげ姿の高山右近と十二単(?)の細川ガラシャを描いたステンドグラスがしつらえられています。

教会のステンドグラスに和服の聖人が描かれているのが何ともユニーク。




東京には他にも素敵な教会がいくつかあるので、教会巡りを趣味のひとつに加えたいと目論んでいます。













クリスマス・コーディネート


クリスマス・コーディネートで今年最後の観能へ。



着物は、グリーンの小花柄小紋(写真では鮮やかな緑ですが、実際はもう少し渋い抹茶色)。

帯は、南天柄をヒイラギに見立てたなごや帯。

赤い帯揚げでクリスマスムードを盛り上げて。



国立能楽堂で開かれた橘会に行ってきました。

梅若玄祥先生の社中会だけあって、出演されているプロの方々も超豪華。

特に後半は、私の大好きな囃子方の大倉源次郎さまと亀井広忠さんのゴールデンコンビが舞囃子とお能《田村》で連続出演されていて、もう、ときめきの時間でした。

源次郎様は、お痩せになったのかな……。
相変わらず優雅で豊かな美しい演奏でしたが、お疲れの御様子。

広忠さんはいつものようにエネルギッシュで気迫のこもった掛け声でしたが、演能が予定時刻を過ぎていたので、時間を気にされていて、さりげなく見所の奥に掛かっている時計をご覧になっていました。
(次の日に福岡で坂口さんの会に御出演される予定だったので、おそらくこの後飛行機に乗ることになっていたのでしょう。)


囃子方のゴールデンコンビ以外にも、一噌仙幸さんのクリスタルな笛の音や梅若紀彰さんの美声を堪能できて、至福のひととき。



今年は夏以来、能にはまって、特に11月以降は、毎週2回くらい能楽堂に足を運んだかな。

仕事のほうも、前からやりたかった美術史関連書の翻訳の依頼が舞い込んで、公私ともに充実した年でした。

お能はかなり中毒状態で、観能できない日が続くと禁断症状が出るほど。

学生時代はお能を観ると睡魔に襲われていたのに、面白いものです。

来年はもっと、

と欲張りな抱負を言いたいところだけれど、とりあえず自分と家族が健康であれば、それだけで幸せです。

2013年9月11日水曜日

あれもこれも。

9月最初の日曜日のコーディネート。


9月とはいえまだまだ暑いので、木綿の藍染縮みの着物。

帯は、木の実柄の麻の秋色の帯。

オレンジの帯に合わせて、帯締めはイエローで秋らしく。



相変わらず、締めきりに追われる日々ですが、仕事だけでなく、趣味も、家庭も、充実させたい!

もちろん、好きで始めた仕事だし、やりがいを感じているのだけれど、
私は仕事に没頭しすぎて身体を壊す傾向があるので、もう少しうまく息抜きをして、
 プライベートも楽しみたいと思っています。

それがいまの目標。

神泉 純米大吟醸

夫の出張のおみやげ。

加賀の菊酒「神泉 純米大吟醸」。


きりっと冷やして、白ワイン感覚で飲めるフルーティなお酒。

初秋のこの時期にぴったりです。

虫の声を聴きながら、思い出に浸りつつ、ひとり杯を傾けて。

めまぐるしく季節はめぐる

最近、仕事が忙しかったので久しぶりの更新。

これはたしか、8月末日のご近所コーディネート。



ポップな柄の夏着物に、ポリの献上柄のなごや帯。

雨が降りそうな日は気楽に。


9月に入ると、一気に秋らしくなりました。

空気がすっきり爽やかで、ずいぶん違いますね。

2013年8月26日月曜日

太鼓セラピー

夏の最後のお祭り、諏訪神社の例大祭へ。
この日はほんとうに涼しくて、夜は25度以下。
早くも秋が来たかと思われたほど。

例大祭が終わりに近づいたころに行ったので、人混みもそれほどでもなく、しっとりと、
どことなく寂しげな晩夏の祭りの風情が漂っていました。




朧げな提灯の明かりに浮かびあがる居囃子は、影絵芝居でも見ているようでどこか幻想的。

子供時代の夏の思い出のワンシーンのよう。

夏のはじめも好きだけれど、夏の終わりのノスタルジックな喪失感にも、甘くせつない懐かしさを感じます。



 
太鼓のパフォーマンス。

これが実に迫力があって、たまらなく素晴らしかった!

太鼓の打音が体中に響いて、スカッと爽快!




太鼓の音は邪気を払うというけれど、ほんと、ストレスがすっ飛びます。

頭の中や胸の内のモヤモヤ感が晴れて、まさに「太鼓セラピー」。

お江戸の祭りの太鼓のプレイヤーって、レベル高いですね。

あっという間に終わっちゃって、もっと、いつまでも聞いていたかった……。

今年も猛暑続きだったけれど、日本の夏って、いいものです。

夏の終わりの夏祭り

8月の第4日曜日、夏の最後の夏祭りに行った時のコーディネート。


この夏、着そびれていた白地の浴衣を着てみました。

やはり白地の浴衣って、夏の初めのウキウキした気分のほうが合うように思います。


帯は、少しだけ季節を意識した秋色の献上博多半幅帯。

夏の初めに「半幅帯は苦手」って言ってたけれど、けっこうラクに結べるようになりました。

何事も、馴れですね。

夏の最後のお祭りは、どこか物悲しく、名残惜しく、風情があります。









秋の気配

土曜日のコーディネート。


綿麻きものを浴衣風に着た夏仕様だけれど、色づかいは秋らしく。

合わせづらくて出番のなかったイエローの紗のなごや帯。

このままだと、夏が終わってしまうので、初おろししてみました。


まだまだ、残暑の厳しい日もあるけれど、少しずつ秋の訪れも近づいている気がします。

2013年8月25日日曜日

はじめての国立能楽堂図書閲覧室

『作りもの入門』展を観た後は、国立能楽堂・図書閲覧室で過去の演能のDVD鑑賞。

せっかくだから、先ほど観た作り物が登場する曲の講演記録を観ることにした。

1本目は1998年に上演された『道成寺』。


前シテ 白拍子 [56] 梅若 六郎  後シテ 蛇体  梅若 六郎

ワキ 道成寺従僧 宝生

ワキツレ 従僧 宝生 欣哉 宝生流

ワキツレ 従僧 殿田 謙吉

アイ 能力 [4] 山本 東次郎 大蔵流

アイ 能力 山本 則直 大蔵流

笛 松田 弘之 森田流

小鼓 [16] 大倉 源次郎 大倉流

大鼓 亀井 広忠 葛野流

太鼓 観世 元伯  観世流

後見 梅若 恭行 観世流

後見 山崎 英太郎  観世流

後見 平井 俊行  観世流

鐘後見 梅若 晋矢、小田切 康陽、角当直隆、山中 貴博
 
 
梅若玄祥師のシテに、大倉源次郎&亀井 広忠の鼓方ゴールデンコンビ。
鐘は、まさに先ほど展示室で見た鐘が使われていた。
 
この鐘、ちょっと歪というか、均等な釣鐘型ではなく、前後の長さが不均衡なのだが、その秘密がDVDを観ていて分かった。
前方(客席側)の鐘に重みをつけることで、やや前方斜めに傾くため、吊っり上がった時に安定するのだ。
つまり、均等な釣鐘形だと、吊りあげた時にクルクルまわりやすくなるからなのだろう。
 
広忠師と源次郎師の獅子の咆哮のような掛け声は迫力満点。
画面全体から、びりびりと凄まじい気迫が伝わってくる。
 
小鼓方の打音と長く間を置いた鋭いシャウト。
それに合わせる乱拍子は、女の体内にうずく蛇がくねくねとのたうちながら、ソロリ、ソロリと鎌首をもたげるかのような、長く間をとる緊迫した独特のリズム感だ。
鐘(男)に対する女の妄執の根深さ、粘着性を表現しているのだろうか。
 
そこから一転、急の舞になると、もう息をするのも忘れるほど、手に汗握りながら見入っていた。
 
梅若玄祥師もほんとうにすばらしかったけれど、鼓方の両人も準シテといえるほど、この最高の『道成寺』を現出させた立役者だ。
 
DVDだけでもこれほど感動するのだから、実際の演能は、もう涙が出るほど素晴らしかったに違いない。観たかったなー。
 
 
 
2本目に観たのは、今年上演された『鉄輪』。
 
 
前シテ 女 [9] 観世 銕之丞



後シテ 女の生霊 [9] 観世 銕之丞

ワキ 安倍晴明 殿田 謙吉  宝生流

ワキツレ 男 則久 英志 宝生流

アイ 社人 高野 和憲 和泉流

笛 藤田 次郎 一噌流

小鼓 古賀 裕己 大倉流

大鼓 國川 純  高安流

太鼓 桜井 均  金春流

後見 清水 寛二  西村 高夫

地謡 地謡地頭 浅井 文義 
青木 健一 安藤 貴康 谷本 健吾  長山 桂三


この曲でも、作り物の「祈祷棚」を観ることができた。

『道成寺』も『鉄輪』も、執着や嫉妬によって蛇や鬼のような形相になった悲しい女の物語。

どんなに美しい女性でも、心に強い負のエネルギーをためていると、恐ろしい顔になってしまう、という教訓めいた曲でもあるけれど、それはいつの時代にも言えることであって、怒りや嫉妬や妬みなどといった悪い感情は、美容にも健康にも悪いと思った次第であった。

負の感情に取り憑かれたツケは恐ろしい。

国立能楽堂「作りもの入門」展

土曜日の午後、国立能楽堂の図書閲覧室ではじめて過去の演能のDVDを視聴したのだが、
その前に、この日が展示最終日となっていた資料室の「作りもの入門」展へ行ってみた。

舞台上のさまざまな作り物が、間近で見られるとあって、かねてから気になっていたのだが、
展示資料室に入ってみると、ガラガラを通り越して人影はなし。

おかげで作りやデザイン、大きさなどをじっくりと観ることができた。

印刷資料によると、
能の作り物は、竹を主材料として、釘を使わず「ポウジ(白、赤、紺などの晒を包帯状に裂いたもの)」をきつく巻き上げて骨組みをつくるそうだ。


展示では、作り物が4つに分類され、カテゴリーごとに陳列されていた。
分類項目は、以下の通り。


(1)籠り屋:中に人が入ることが可能。場所や建物を表わす。
 
 例)『道成寺』の鐘
 今回、いちばん観たかった展示物。吊り上った状態で展示されており、かなりの重さであることがうかがえる。内径は1mほどだろうか、中は狭く、シテ方が頭を打ち付けて脳震盪を起こすこともあるというのもうなずける。
中がどうなっているのか気になってのぞいてみたが、台の上に上がってはいけないので、あまりよく見えなかった。大柄な縁者だと着替えるスペースもあまりなさそうだ。着替えた衣裳を収納する、もしくは引っかけておく工夫などもなされているのだろうか。
「道成寺の鐘の中に入ってみる」という体験企画講座があれば、是非とも参加してみたい。


(2)据え台
  一畳台など。

(3)乗り物
 輿や船など。

(4-a)地面に固定されているもの
 『野宮』の柴垣付鳥居
 支柱となる竹棒に二枚の板を掛けて鳥居とし、柴垣を少し付けただけの、倒れそうなほど簡便な作り物だった。

 『小督』の柴垣付門
 こちらは『野宮』の鳥居よりもちょっと凝っていて、柴葺の屋根が付いていた

(4-b)可動式のもの
 『鉄輪』の祈祷棚



そのほか『砧』の砧や『松風』の汐汲車、『鞍馬天狗』の羽団扇など、小道具ともいえる「採り道具」など、全20点が展示されていて、個人的はとても楽しめた企画展だった。


それにしても、想像通り、作り物の大きさ・高さは驚くほど小さい。
『道成寺』の鐘や『黒塚』の萩小屋などは、私くらいの体型(身長170センチ、体重48キロ)で、あの重く嵩張る能装束をつけたら、ぎりぎり入れるくらい大きさのように思われた。

男性能楽師の中には、上背のある人や横幅のある人、ボリュームのある方もいらっしゃるので、そこは技量でカバーされているのだろうか。

能舞台の大きさは決まっているし、舞台上には囃子方や地謡、ワキや後見など、大勢の人が上がるので、作り物の大きさも限られてくるから、小さめなのは致し方ないのだろう。
大柄な人は、演技の上でも人一倍工夫が必要なのかもしれない。

2013年8月19日月曜日

マニッシュな浴衣で

相模原薪能の時のコーディネート。


薪能なのであまり浴衣っぽいのも気が引けるし、さりとて夏着物も暑そう……。

というわけで、しじらの着物を浴衣風に来てみました。

帯は博多半幅帯。 

一応、女性らしく小豆色の帯にしたけれど、献上柄なので、さらに「男前」っぽいコーディネートに。

こういうマニッシュな雰囲気もけっこう自分では気に入っています。

しじらを浴衣風に着ると、ほんと、涼しいですね。

通りすがりの方からもポジティブなお声をかけていただいたので、客観的にもすっきりと見えて良かったのかな(?)。


相模原薪能では、ご年配の方は薄物の夏着物で(さすが!)、比較的若い方は浴衣で観能していらっしゃいました。

浴衣や夏着物の方が多いと、それだけで夏の薪能のムードが盛り上がりますね。


猛暑だけれど、夏には夏の楽しみ方がある。
日本に生まれてよかった!

2013年8月17日土曜日

相模原薪能~土蜘蛛の糸

未体験だった真夏の薪能。「相模原薪能」も今回が初めて。
立ち見覚悟だったけれど、意外にも、比較的見えやすい席をとることができました。


相模原は東京よりも少し気温が低いのか、日が暮れると涼風が吹いて快適。

この薪能は毎年、違う流派が行うとのこと。今年は宝生流でした。



火入れ式の後の能舞台は幻想的で、いよいよ夏の夜の夢の世界が始まります。
この日の番組は以下の通り。


仕舞 「杜若」    小倉伸二郎
   「大江山」   野月聡

狂言 「鎌腹」 山本則俊、山本則重、遠藤博義

能 「土蜘蛛」
 シテ:宝生和英、頼光:藪克徳、小蝶:金野泰大、トモ:木谷哲也
 ワキ:舘田善博、ワキツレ:森常太郎、ワキツレ:則久英志、間:山本則秀
 大鼓:佃良太郎、小鼓:住駒充彦、太鼓:梶谷秀樹、笛:小野寺竜一
 地謡:川瀬隆士、辰巳大二郎、東川尚史、高橋憲正、水上優、東川光夫、
    辰巳満次郎、小倉伸二郎


仕舞の小倉・野月両師はともに白っぽい紋付き袴の清々しい出で立ち。端正で爽やかな舞。

狂言の山本則俊師はさすがに間の取り方が絶妙で、女房に責められ死のうとするけれども、意気地がなくて死に切れないショボくれたダメ亭主を、共感を誘う愛すべき人間として巧みに演じていらっしゃいました。 


最後は、宝生宗家演じる「土蜘蛛」。

辰巳満次郎師率いる安定した地謡部隊が全体をしっかりサポート。

マイクのボリューム不足のせいか、囃子方の鼓と掛け声が少し物足りない気がしたけれど、
「我昔、葛城山に年を経し、土蜘蛛の精魂なり」と塚の中から登場する後シテの土蜘蛛と、独武者との立ち回りは見ごたえがあり、娯楽要素満点でした。

身軽な若き宗家のスペクタクル系演能は、キレがあって、華やか。
真夏の市民薪能にはぴったりだったんじゃないかな。



上の写真は、薪能のパンフレットと、いただいてきた土蜘蛛の糸。

土蜘蛛の糸は厄除けになるそうです。


舞台上で土蜘蛛が投げつける「蜘蛛の巣」は、雁皮紙(薄い和紙)を巻いて1つ1つ手づくりするとのこと。

仕組みは、重石となる鉛玉に、上の写真のような細長い紙テープを巻きつけて投げつける、というローテクなものですが、放物線を描くようにうまく投げるのは難しく、かなりのテクニックを要するそうです。

とはいえ、蜘蛛の巣(なまり玉)は貴重なため、練習はほとんどできず、ぶっつけ本番でやることが多いとか。 

今回の《土蜘蛛》でも、宗家の手から花火のように美しく放射された「千筋の糸」を堪能しました。
持ち帰った糸は、わが家の厄除けのお守りにします。

2013年8月16日金曜日

大分空港限定純米酒《早春》

夫の出張土産の大分空港限定純米酒《早春》。


大分県産の《若水》を使用した甘みとコクのある芳醇なお酒でした。

名前から察するにお花見に合うようなお酒なのでしょうか。夏はもちろん冷酒で。



ボトルのデザインも素敵なのです。 コルク栓なのも珍しい。

いちばん涼しい浴衣


深川祭りの能奉納に行った時のコーディネート――。

この日も、最高気温35度の猛暑日。

能奉納は夕方の4時半からとはいえ、まだまだ陽が高いと思われたため、手持ちの浴衣の中でもいちばん涼しい絞りの浴衣にしました。

絞りの浴衣はふわふわして風をよく通すので、帯を締めているところ以外はとても涼しいのです。



富岡八幡宮の特設舞台の観客席は大樹の木陰になっていて、思いのほか心地良かったです。

同じ都内でもアスファルトのビル街と、古社の境内とでは体感温度がずいぶん違うんですね。