せっかくだから、先ほど観た作り物が登場する曲の講演記録を観ることにした。
1本目は1998年に上演された『道成寺』。
前シテ 白拍子 [56世] 梅若 六郎 後シテ 蛇体
梅若 六郎
ワキ 道成寺従僧 宝生 閑
ワキツレ 従僧 宝生 欣哉 宝生流
ワキツレ 従僧 殿田 謙吉
アイ 能力 [4世] 山本 東次郎 大蔵流
アイ 能力 山本 則直 大蔵流
笛 松田
弘之 森田流
小鼓 [16世] 大倉
源次郎 大倉流
大鼓 亀井 広忠 葛野流
太鼓 観世 元伯 観世流
後見 梅若 恭行 観世流
後見 山崎 英太郎 観世流
後見 平井 俊行 観世流
鐘後見 梅若
晋矢、小田切 康陽、角当直隆、山中
貴博
梅若玄祥師のシテに、大倉源次郎&亀井 広忠の鼓方ゴールデンコンビ。
鐘は、まさに先ほど展示室で見た鐘が使われていた。
この鐘、ちょっと歪というか、均等な釣鐘型ではなく、前後の長さが不均衡なのだが、その秘密がDVDを観ていて分かった。
前方(客席側)の鐘に重みをつけることで、やや前方斜めに傾くため、吊っり上がった時に安定するのだ。
つまり、均等な釣鐘形だと、吊りあげた時にクルクルまわりやすくなるからなのだろう。
広忠師と源次郎師の獅子の咆哮のような掛け声は迫力満点。
画面全体から、びりびりと凄まじい気迫が伝わってくる。
小鼓方の打音と長く間を置いた鋭いシャウト。
それに合わせる乱拍子は、女の体内にうずく蛇がくねくねとのたうちながら、ソロリ、ソロリと鎌首をもたげるかのような、長く間をとる緊迫した独特のリズム感だ。
鐘(男)に対する女の妄執の根深さ、粘着性を表現しているのだろうか。
鐘(男)に対する女の妄執の根深さ、粘着性を表現しているのだろうか。
そこから一転、急の舞になると、もう息をするのも忘れるほど、手に汗握りながら見入っていた。
梅若玄祥師もほんとうにすばらしかったけれど、鼓方の両人も準シテといえるほど、この最高の『道成寺』を現出させた立役者だ。
DVDだけでもこれほど感動するのだから、実際の演能は、もう涙が出るほど素晴らしかったに違いない。観たかったなー。
2本目に観たのは、今年上演された『鉄輪』。
後シテ 女の生霊 [9世] 観世 銕之丞
ワキ 安倍晴明 殿田 謙吉 宝生流
ワキツレ 男 則久 英志 宝生流
アイ 社人 高野 和憲 和泉流
笛 藤田 次郎 一噌流
小鼓 古賀 裕己 大倉流
大鼓 國川 純 高安流
太鼓 桜井 均 金春流
後見 清水 寛二 西村 高夫
地謡 地謡地頭 浅井 文義
青木
健一 安藤 貴康 谷本 健吾 長山 桂三
この曲でも、作り物の「祈祷棚」を観ることができた。
『道成寺』も『鉄輪』も、執着や嫉妬によって蛇や鬼のような形相になった悲しい女の物語。
どんなに美しい女性でも、心に強い負のエネルギーをためていると、恐ろしい顔になってしまう、という教訓めいた曲でもあるけれど、それはいつの時代にも言えることであって、怒りや嫉妬や妬みなどといった悪い感情は、美容にも健康にも悪いと思った次第であった。
負の感情に取り憑かれたツケは恐ろしい。
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