2012年10月4日木曜日

国立能楽堂公開講座へ


9月最後の土曜日、国立能楽堂の公開講座にはじめて参加した。

 この日は、7月に市の能楽講座で講師を務めてくださった国文学研究資料室の小林健二先生による『縁起物語と能――《養老》《江島》をめぐって――』。
 
 
寺社などの由来や霊験などの伝説を記した縁起物語・縁起絵巻と能との関連を検証していくのが、今回の講座のテーマである。
 
前半は、従来は『十訓抄』や『古今著聞集』を典拠とするとされてきた世阿弥作《養老》と、《養老縁起》との考察。

養老寺に伝わるとされる《養老縁起》をもとに、世阿弥が《養老》を作曲したと考えられる根拠となったのが、天野文雄先生の論文「《養老》の典拠と成立の背景――『養老寺縁起』と義満の養老瀧見物をめぐって」だった。

この論文によると、世阿弥のパトロン・足利義満が、伊勢神宮を参拝したついでに美濃国に立ち寄り、養老瀧その他も見物した。その後入洛した際に、近江の草津まで「其外諸道ノ輩」が出向いて、将軍の帰還を祝ったという。

この「其外諸道ノ輩」のなかに世阿弥も含まれたと考えられ、義満入洛の祝宴の席で語られた養老縁起からインスパイアされて、世阿弥は《養老》を作曲したのではないかと推察されるとのことだった。
 
可能性としては充分にあり得るけれど、ただ、典拠とされる『養老縁起』が江戸前期のものだというのが、この考察のネックとなっている。
養老寺にもっと古くから(世阿弥よりも前の時代から)伝わる『養老縁起』が見つかれば、もっと強力な根拠となるのだが。
 
世阿弥の《養老》には、鴨長明の『方丈記』の有名な一節を引用したような表現(「夫れ行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にはあらず」)や、菊慈童の話を参照した詞章(「彭祖が菊の水。しただる露の養に。仙徳を受けしより。七百歳を経る事も薬の水と聞くものを。」)などが散りばめられ、七五調の謡が川の流れのように心地よく流れていく。

「よき御代なれや。万歳の道に帰りなん。」というお目出度い結末で締めくくられるこの曲は、「若返り(不老長寿)」という無常観とは真逆のテーマを扱った作品である。権力者の歓心を買うためにその御世を讃えるには、これくらい毒気のないハッピーエンドな演出が必要だったのかもしれない。
 
 
後半は、観世長俊(世阿弥の甥・音阿弥の息子・観世小次郎信光の嫡男)による《江島》と『江島縁起絵巻』との関連の論証である。
長俊の作品は、父信光のショー的・スペクタクル的な作風をより徹底させた演出が特徴とされ、ヴィジュアルに訴える絵物語的な要素が強いと評される。
 
能《江島》の詞章と、『江島縁起絵巻』の詞書および絵とを比べて見ると、その影響関係は明らかだ。
これは、長俊が熱海に湯治に行った折に『江島縁起絵巻』をその目でじかに見て、おおいに触発された結果、《江島》を作曲したからだと考えられる、というのが後半の結論だった。
 
今回も講師の小林先生が非常に楽しそうに話して下さったので、この講義もとても興味深く拝聴することができた。


小林先生が担当された市民講座の内容は↓の記事にまとめています。
http://yumenekopart2.blogspot.jp/2012/07/blog-post_19.html

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




 
 

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