2013年7月28日日曜日

花火大会→ゲリラ豪雨→中止

7月最後の土曜日、昭和記念公園の花火大会へ。

今年購入した新しい浴衣を着ていくつもりだったけれど、雨が降りそうなお天気だったので、そろそろ洗濯する予定だった「濡れてもへっちゃら浴衣」で、ゲリラ豪雨対策コーディネート。


予想通り、花火開始前から稲光がして、雨がポツリポツリ。

開始予定時間になると本降りになり、案の定、花火は中止となりました。

隅田川の花火大会も途中で中止になった模様。


駅前のデパートのレストラン街で夕食を済ませながら雨宿り(すんごい人でした)。

帰宅後は、浴衣をすぐさま洗濯機へ投入。

洗って、干して、サッパリしました。

浴衣はジャブジャブ洗えるのがいいですね。


不覚だったのは、一緒に行った家族が風邪をひいてしまったこと。

もともと体調が悪かったみたいで、こんなお天気の日に、花火大会に誘うべきではなかったです。

家族の健康管理は、私にとって最も心を砕くべき重要な仕事の1つなので、反省、反省。



それにしても、ここ数年、どんどん天候が荒れてくる感じですね。

今夏は集中豪雨の被害が多いし。

地中温暖化とか、そういうレベルではなく、人間にとって住みにくい地球環境に変化しつつあるような気がします。

2013年7月19日金曜日

関西から東京へ

W帰省4日目は、山陰から再び関西に戻り、私の実家で妹弟家族も集まり、

久しぶりにみんなで楽しく過ごしました。

そして最終日の5日目、高速を乗り継ぎ、SAに立ち寄りながら関西から東京へ。



               この子は大津市のご当地キャラ「おおつ光ルくん」。


               カメラを向けるとポーズをとってくれました。 

               麻呂風なのは21世紀版光源氏だからとか。





    八ヶ岳を過ぎたあたりから、中央道でも富士山が見えたので、車窓からパチリ。





                 いろんな親戚からお土産をいただいたのですが、なかでも可愛かったのが、
           妹からもらった「千鳥ゼリー」。

           家族って温かいとあらためて実感した帰省旅でした。

美保関灯台


美保神社参拝後、車で丘を上って美保関灯台へ。

ありえないほど澄みきった青い海と空が広がっている。 来てよかった!!



この灯台の初点灯は明治31(1898)年。

1988年に「世界灯台100選」に選ばれ、2007年には国の有形文化財に登録された。                       




                     どこまでも、広い海と空。




                     

                   美保関灯台。夏の日差しがまぶしい!





                              

                  この位置からまっすぐ先が隠岐の島。

                


                            


         空と海の透き通ったブルーを見ているだけで、幸せな気分になる。




                                         


                      孤島のような海上の灯台。




美保神社~美保関

青石畳通りの散策後、いよいよ美保神社へ。



ここは、大国主命の息子である事代主神と、
大国主の妃にして事代主の母でああり、美保関の名称の由来となった三穂津姫命を主神とする神社。

事代主が「えびす様」と同一視されたため、えびす信仰の総本社とされる。


また「事代主」はその名の通り、神に代わって神の言葉を伝える「ご神託を司る」神でもある。


その名残りだろうか、ここでは毎日朝夕、「真の神楽」と「八乙女の舞」の巫女舞が奉納される。

(巫女は、本来、神がかりになって神の言葉を伝える役目を担っていた。)


そう、ここは日本のデルフォイともいえる場所なのだ。



                                               この日の祝詞奏上は3時半から。
                 (季節によって時間が変わるらしい。)




            神の御前で祝詞の奏上され、あたりに清浄な空気が立ち込める。





               祝詞奏上が終わり、巫女さんたちが定位置につく。






                        太鼓と笛の囃子。




    おそらく榊と鈴だろうか、寄り代となる採物を手に、厳かな舞が繰り返される。







                   全体の位置関係はこんな感じ。

 




                   端正な佇まいが美しく絵になる。





                  右手奥は社務所と思しき趣のある建物。 



先日、『ガイアの夜明け』で、観光資源としての美保関が取り上げられていたけれど、

この神聖な空間が観光汚染に穢されないことを心から願ってやまない。


青石畳通り~美保関

 
午後は境港から美保関に移動。

まずは、美保神社の手前にある「青石畳通り」を散策しました。



明治・大正時代の老舗旅館や旧家が軒を連ねる通り。

ちょっとしたタイムトラベルが楽しめる素敵な空間です。





「青石畳通り」とは、
雨の日に、石畳がほのかに青色に変化することから名付けられたとのこと。



美保館

与謝野鉄幹・晶子、高浜虚子、西条八十といった文人も訪れた老舗旅館「美保館」。






明治38年創業だそうです。 船の家紋がいかにも港町の名家らしい。





初代が加賀藩士だったことから、「加賀屋」と称された。




美保関資料館

この地にしかない「 鷦鷯(ささき)」という珍しい姓の由来と資料等が展示されていました。





高浜虚子の句
「烏賊の味 忘れで帰る 美保の関     高浜虚子」





虚子の句にならって、漁港で焼かれていたイカ焼きをいただきました。

海を見ながら食べるイカ焼きは最高!



美保関の漁港の風景


左手に見えるホテルは、先ほどの美保館を正面から見たところ。

青石畳通りから見るのとは趣が異なり、何の変哲もない古びた旅館。



海と、船と、山と、空。 美味しい空気。 

夏の色に染まった景色を見ていると、心がワクワクしてくる!


境港へ

お昼は境港に移動して、「伯蕎庵しばた」というお店で出雲そばをいただきました。


ご主人が育てた蕎麦を挽きぐるみにして店内の石臼で挽いた手打ち蕎麦は絶品!

出雲蕎麦は汁を蕎麦に直接かけるのですが、通常、割子が三段重ねになっていて、割子ごとに薬味を変えて、違った味が楽しめるようになっています。

2年前に松江の観光地でさんざん並んだ末に食べた出雲蕎麦は、駅の立ち食いソバのほうが美味しいと思うくらい不味かったけれど、「しばた」の蕎麦はほんとうに美味しかった。

蕎麦の香りと独特の歯ごたえ、腰のある食感が堪能できるこういう黒っぽい蕎麦は大好きです。



ネコ娘

店を出て徒歩5分のところにある「水木しげる記念館」。

できればスルーしたかったのですが、義母のたっての希望で入ることに……。



                                

のんのんばあと、水木しげる少年。

幼少期に聞いた昔話&妖怪話が、水木しげるに多大な影響を及ぼし、後年の作品に生きてくる。


                      


水木しげるが収集した世界各地の民族仮面。

パプア・ニューギニアなど、プリミティブな社会が今なお息づく場所に何度も足を運んでおられることは知っていたのですが、それ以外にも、ご高齢にもかかわらずほんとうに世界各地に出向いていらっしゃいます。

火葬直後のお父上の遺骨を好奇心から「激写」したことは有名な話ですが、やはりおお聖な好奇心が水木しげる先生の原動力なのですね。



 
中庭にもねずみ男や砂かけばばあのオブジェが。





これは、妖怪ポストと鬼太郎の家。





家の中には、鬼太郎やねずみ男たちの姿が。

目玉おやじも茶碗のお風呂でいい気分。

揖夜神社&黄泉比良坂伝承地

W帰省3日目、最初に訪れたのが、東出雲町の揖夜神社。




主祭神はイザナギ。配神は、大己貴命(大国主命)、少彦名命、事代主命。

日本書紀には「言屋社(いふやのやしろ)」、出雲国風土記にも「伊布夜社(いふやのやしろ)」の記述があり、非常に古い神社であることが分かる。


                           



日本最古の建築様式、大社造。 


                            


                                      

左巻きの大きな注連縄も出雲地方ならでは。



         

絵馬が奉納されていた。





境内には他に参拝者はなく、静かで厳かな雰囲気。

右手にあるのは、樹齢何年だろう、神が宿っていそうな古木(神木)が立っていた。





本殿の右手にある三穂津姫神社。

三穂津姫(ミホツヒメ)は、大国主命の妃神で、美保関の「ミホ」の名前の由来にもなった女神様。

当然ながら、後で行く美保神社の祭神の1人でもある。






揖夜神社から車で数分走ったところに、黄泉比良坂伝承地がある。

以下は、黄泉比良坂伝承の概略;

イザナギ・イザナミは多くの神々を生みだしたが、火の神カグツチを出産したイザナミは女陰(ほと)を焼かれて死亡する。

イザナギはイザナミの後を追って黄泉の国へ赴くが、イザナミの変わり果てた姿を見て、逃げ帰ろうとする。

自分の醜い姿を見られて恥辱に震えたイザナミは、醜女や悪霊にイザナギを追いかけさせる。

イザナギが竹の櫛や木の蔓を投げつけると、タケノコが生えたり葡萄がなったりして、醜女たちがそれらを食べている隙に、黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂の坂本までたどり着く。

坂本に桃の木があったので、イザナギが桃の実を3つ投げたところ、追ってきた悪霊たちはようやく退散する。

最後に、イザナミ本人が追いかけてきたため、イザナギは千人がかりでなければ動かないといわれる大岩で黄泉比良坂をふさぎ、岩を挟んで夫婦は別れることとなったという。


黄泉比良坂は、この世とあの世の境界であると同時に、始原の男女の別離の場でもあるのですね……。





太古の沼地ともいえるような小さな池の橋を渡ると、






このように結界が張られている場所に至る。

結界をくぐった先には、





「神蹟 黄泉平坂  伊賦夜坂 傳承地」の石碑があり、




さらにその先には、黄泉比良坂をふさいだとされる大岩が……。

          
「千人がかりでなければ動かない」というのは大げさだけれど、かなり大きな岩でした。


ここを訪れるのは十数年ぶりですが、この日も、訪れる人は私たちだけで、「知る人ぞ知る」神話の地のままだったのが嬉しい。

このまま観光汚染されずに、神聖な場所のままであってほしいと願いながら、この地を後にしました。

W帰省3日目~道の駅

3日目は、山陰の夫の実家の近くをめぐりました。


道の駅「あらエッサ」

最初に立ち寄ったのが安来の道の駅「あらエッサ」。

説明不要かもしれませんが、安来節にちなんだ場所です。




島根県のゆるキャラ「しまねっこ」のお土産。

ひこにゃんのパクリっぽい気もするけれど、出雲大社の鳥居を頭にのせた「しまね」の「ねこ」で、「しまねっこ」なんですね……。





道の駅では、珍しい地域の特産品が売っていたりして面白いのだけれど、

ここでは「コリンキー」というサラダ用カボチャを発見!


1個買って半分はサラダ、半分は酢の物にしてみんなで食べたけれど、

採れたてのキュウリのような食感で(同じウリ科だからでしょうか)、美味しかった。
                             

黄色なので、トマトやブロッコリーなどの赤や緑と合わせると、彩りの華やかなサラダになります。


何よりも、包丁でカットする時も、カボチャとは思えないくらい柔らかい。

皮ごとサクサクと切れるし、皮ごと食べられるのです。

東京のスーパーでも是非置いてほしい!