2013年8月26日月曜日

太鼓セラピー

夏の最後のお祭り、諏訪神社の例大祭へ。
この日はほんとうに涼しくて、夜は25度以下。
早くも秋が来たかと思われたほど。

例大祭が終わりに近づいたころに行ったので、人混みもそれほどでもなく、しっとりと、
どことなく寂しげな晩夏の祭りの風情が漂っていました。




朧げな提灯の明かりに浮かびあがる居囃子は、影絵芝居でも見ているようでどこか幻想的。

子供時代の夏の思い出のワンシーンのよう。

夏のはじめも好きだけれど、夏の終わりのノスタルジックな喪失感にも、甘くせつない懐かしさを感じます。



 
太鼓のパフォーマンス。

これが実に迫力があって、たまらなく素晴らしかった!

太鼓の打音が体中に響いて、スカッと爽快!




太鼓の音は邪気を払うというけれど、ほんと、ストレスがすっ飛びます。

頭の中や胸の内のモヤモヤ感が晴れて、まさに「太鼓セラピー」。

お江戸の祭りの太鼓のプレイヤーって、レベル高いですね。

あっという間に終わっちゃって、もっと、いつまでも聞いていたかった……。

今年も猛暑続きだったけれど、日本の夏って、いいものです。

夏の終わりの夏祭り

8月の第4日曜日、夏の最後の夏祭りに行った時のコーディネート。


この夏、着そびれていた白地の浴衣を着てみました。

やはり白地の浴衣って、夏の初めのウキウキした気分のほうが合うように思います。


帯は、少しだけ季節を意識した秋色の献上博多半幅帯。

夏の初めに「半幅帯は苦手」って言ってたけれど、けっこうラクに結べるようになりました。

何事も、馴れですね。

夏の最後のお祭りは、どこか物悲しく、名残惜しく、風情があります。









秋の気配

土曜日のコーディネート。


綿麻きものを浴衣風に着た夏仕様だけれど、色づかいは秋らしく。

合わせづらくて出番のなかったイエローの紗のなごや帯。

このままだと、夏が終わってしまうので、初おろししてみました。


まだまだ、残暑の厳しい日もあるけれど、少しずつ秋の訪れも近づいている気がします。

2013年8月25日日曜日

はじめての国立能楽堂図書閲覧室

『作りもの入門』展を観た後は、国立能楽堂・図書閲覧室で過去の演能のDVD鑑賞。

せっかくだから、先ほど観た作り物が登場する曲の講演記録を観ることにした。

1本目は1998年に上演された『道成寺』。


前シテ 白拍子 [56] 梅若 六郎  後シテ 蛇体  梅若 六郎

ワキ 道成寺従僧 宝生

ワキツレ 従僧 宝生 欣哉 宝生流

ワキツレ 従僧 殿田 謙吉

アイ 能力 [4] 山本 東次郎 大蔵流

アイ 能力 山本 則直 大蔵流

笛 松田 弘之 森田流

小鼓 [16] 大倉 源次郎 大倉流

大鼓 亀井 広忠 葛野流

太鼓 観世 元伯  観世流

後見 梅若 恭行 観世流

後見 山崎 英太郎  観世流

後見 平井 俊行  観世流

鐘後見 梅若 晋矢、小田切 康陽、角当直隆、山中 貴博
 
 
梅若玄祥師のシテに、大倉源次郎&亀井 広忠の鼓方ゴールデンコンビ。
鐘は、まさに先ほど展示室で見た鐘が使われていた。
 
この鐘、ちょっと歪というか、均等な釣鐘型ではなく、前後の長さが不均衡なのだが、その秘密がDVDを観ていて分かった。
前方(客席側)の鐘に重みをつけることで、やや前方斜めに傾くため、吊っり上がった時に安定するのだ。
つまり、均等な釣鐘形だと、吊りあげた時にクルクルまわりやすくなるからなのだろう。
 
広忠師と源次郎師の獅子の咆哮のような掛け声は迫力満点。
画面全体から、びりびりと凄まじい気迫が伝わってくる。
 
小鼓方の打音と長く間を置いた鋭いシャウト。
それに合わせる乱拍子は、女の体内にうずく蛇がくねくねとのたうちながら、ソロリ、ソロリと鎌首をもたげるかのような、長く間をとる緊迫した独特のリズム感だ。
鐘(男)に対する女の妄執の根深さ、粘着性を表現しているのだろうか。
 
そこから一転、急の舞になると、もう息をするのも忘れるほど、手に汗握りながら見入っていた。
 
梅若玄祥師もほんとうにすばらしかったけれど、鼓方の両人も準シテといえるほど、この最高の『道成寺』を現出させた立役者だ。
 
DVDだけでもこれほど感動するのだから、実際の演能は、もう涙が出るほど素晴らしかったに違いない。観たかったなー。
 
 
 
2本目に観たのは、今年上演された『鉄輪』。
 
 
前シテ 女 [9] 観世 銕之丞



後シテ 女の生霊 [9] 観世 銕之丞

ワキ 安倍晴明 殿田 謙吉  宝生流

ワキツレ 男 則久 英志 宝生流

アイ 社人 高野 和憲 和泉流

笛 藤田 次郎 一噌流

小鼓 古賀 裕己 大倉流

大鼓 國川 純  高安流

太鼓 桜井 均  金春流

後見 清水 寛二  西村 高夫

地謡 地謡地頭 浅井 文義 
青木 健一 安藤 貴康 谷本 健吾  長山 桂三


この曲でも、作り物の「祈祷棚」を観ることができた。

『道成寺』も『鉄輪』も、執着や嫉妬によって蛇や鬼のような形相になった悲しい女の物語。

どんなに美しい女性でも、心に強い負のエネルギーをためていると、恐ろしい顔になってしまう、という教訓めいた曲でもあるけれど、それはいつの時代にも言えることであって、怒りや嫉妬や妬みなどといった悪い感情は、美容にも健康にも悪いと思った次第であった。

負の感情に取り憑かれたツケは恐ろしい。

国立能楽堂「作りもの入門」展

土曜日の午後、国立能楽堂の図書閲覧室ではじめて過去の演能のDVDを視聴したのだが、
その前に、この日が展示最終日となっていた資料室の「作りもの入門」展へ行ってみた。

舞台上のさまざまな作り物が、間近で見られるとあって、かねてから気になっていたのだが、
展示資料室に入ってみると、ガラガラを通り越して人影はなし。

おかげで作りやデザイン、大きさなどをじっくりと観ることができた。

印刷資料によると、
能の作り物は、竹を主材料として、釘を使わず「ポウジ(白、赤、紺などの晒を包帯状に裂いたもの)」をきつく巻き上げて骨組みをつくるそうだ。


展示では、作り物が4つに分類され、カテゴリーごとに陳列されていた。
分類項目は、以下の通り。


(1)籠り屋:中に人が入ることが可能。場所や建物を表わす。
 
 例)『道成寺』の鐘
 今回、いちばん観たかった展示物。吊り上った状態で展示されており、かなりの重さであることがうかがえる。内径は1mほどだろうか、中は狭く、シテ方が頭を打ち付けて脳震盪を起こすこともあるというのもうなずける。
中がどうなっているのか気になってのぞいてみたが、台の上に上がってはいけないので、あまりよく見えなかった。大柄な縁者だと着替えるスペースもあまりなさそうだ。着替えた衣裳を収納する、もしくは引っかけておく工夫などもなされているのだろうか。
「道成寺の鐘の中に入ってみる」という体験企画講座があれば、是非とも参加してみたい。


(2)据え台
  一畳台など。

(3)乗り物
 輿や船など。

(4-a)地面に固定されているもの
 『野宮』の柴垣付鳥居
 支柱となる竹棒に二枚の板を掛けて鳥居とし、柴垣を少し付けただけの、倒れそうなほど簡便な作り物だった。

 『小督』の柴垣付門
 こちらは『野宮』の鳥居よりもちょっと凝っていて、柴葺の屋根が付いていた

(4-b)可動式のもの
 『鉄輪』の祈祷棚



そのほか『砧』の砧や『松風』の汐汲車、『鞍馬天狗』の羽団扇など、小道具ともいえる「採り道具」など、全20点が展示されていて、個人的はとても楽しめた企画展だった。


それにしても、想像通り、作り物の大きさ・高さは驚くほど小さい。
『道成寺』の鐘や『黒塚』の萩小屋などは、私くらいの体型(身長170センチ、体重48キロ)で、あの重く嵩張る能装束をつけたら、ぎりぎり入れるくらい大きさのように思われた。

男性能楽師の中には、上背のある人や横幅のある人、ボリュームのある方もいらっしゃるので、そこは技量でカバーされているのだろうか。

能舞台の大きさは決まっているし、舞台上には囃子方や地謡、ワキや後見など、大勢の人が上がるので、作り物の大きさも限られてくるから、小さめなのは致し方ないのだろう。
大柄な人は、演技の上でも人一倍工夫が必要なのかもしれない。

2013年8月19日月曜日

マニッシュな浴衣で

相模原薪能の時のコーディネート。


薪能なのであまり浴衣っぽいのも気が引けるし、さりとて夏着物も暑そう……。

というわけで、しじらの着物を浴衣風に来てみました。

帯は博多半幅帯。 

一応、女性らしく小豆色の帯にしたけれど、献上柄なので、さらに「男前」っぽいコーディネートに。

こういうマニッシュな雰囲気もけっこう自分では気に入っています。

しじらを浴衣風に着ると、ほんと、涼しいですね。

通りすがりの方からもポジティブなお声をかけていただいたので、客観的にもすっきりと見えて良かったのかな(?)。


相模原薪能では、ご年配の方は薄物の夏着物で(さすが!)、比較的若い方は浴衣で観能していらっしゃいました。

浴衣や夏着物の方が多いと、それだけで夏の薪能のムードが盛り上がりますね。


猛暑だけれど、夏には夏の楽しみ方がある。
日本に生まれてよかった!

2013年8月17日土曜日

相模原薪能~土蜘蛛の糸

未体験だった真夏の薪能。「相模原薪能」も今回が初めて。
立ち見覚悟だったけれど、意外にも、比較的見えやすい席をとることができました。


相模原は東京よりも少し気温が低いのか、日が暮れると涼風が吹いて快適。

この薪能は毎年、違う流派が行うとのこと。今年は宝生流でした。



火入れ式の後の能舞台は幻想的で、いよいよ夏の夜の夢の世界が始まります。
この日の番組は以下の通り。


仕舞 「杜若」    小倉伸二郎
   「大江山」   野月聡

狂言 「鎌腹」 山本則俊、山本則重、遠藤博義

能 「土蜘蛛」
 シテ:宝生和英、頼光:藪克徳、小蝶:金野泰大、トモ:木谷哲也
 ワキ:舘田善博、ワキツレ:森常太郎、ワキツレ:則久英志、間:山本則秀
 大鼓:佃良太郎、小鼓:住駒充彦、太鼓:梶谷秀樹、笛:小野寺竜一
 地謡:川瀬隆士、辰巳大二郎、東川尚史、高橋憲正、水上優、東川光夫、
    辰巳満次郎、小倉伸二郎


仕舞の小倉・野月両師はともに白っぽい紋付き袴の清々しい出で立ち。端正で爽やかな舞。

狂言の山本則俊師はさすがに間の取り方が絶妙で、女房に責められ死のうとするけれども、意気地がなくて死に切れないショボくれたダメ亭主を、共感を誘う愛すべき人間として巧みに演じていらっしゃいました。 


最後は、宝生宗家演じる「土蜘蛛」。

辰巳満次郎師率いる安定した地謡部隊が全体をしっかりサポート。

マイクのボリューム不足のせいか、囃子方の鼓と掛け声が少し物足りない気がしたけれど、
「我昔、葛城山に年を経し、土蜘蛛の精魂なり」と塚の中から登場する後シテの土蜘蛛と、独武者との立ち回りは見ごたえがあり、娯楽要素満点でした。

身軽な若き宗家のスペクタクル系演能は、キレがあって、華やか。
真夏の市民薪能にはぴったりだったんじゃないかな。



上の写真は、薪能のパンフレットと、いただいてきた土蜘蛛の糸。

土蜘蛛の糸は厄除けになるそうです。


舞台上で土蜘蛛が投げつける「蜘蛛の巣」は、雁皮紙(薄い和紙)を巻いて1つ1つ手づくりするとのこと。

仕組みは、重石となる鉛玉に、上の写真のような細長い紙テープを巻きつけて投げつける、というローテクなものですが、放物線を描くようにうまく投げるのは難しく、かなりのテクニックを要するそうです。

とはいえ、蜘蛛の巣(なまり玉)は貴重なため、練習はほとんどできず、ぶっつけ本番でやることが多いとか。 

今回の《土蜘蛛》でも、宗家の手から花火のように美しく放射された「千筋の糸」を堪能しました。
持ち帰った糸は、わが家の厄除けのお守りにします。

2013年8月16日金曜日

大分空港限定純米酒《早春》

夫の出張土産の大分空港限定純米酒《早春》。


大分県産の《若水》を使用した甘みとコクのある芳醇なお酒でした。

名前から察するにお花見に合うようなお酒なのでしょうか。夏はもちろん冷酒で。



ボトルのデザインも素敵なのです。 コルク栓なのも珍しい。

いちばん涼しい浴衣


深川祭りの能奉納に行った時のコーディネート――。

この日も、最高気温35度の猛暑日。

能奉納は夕方の4時半からとはいえ、まだまだ陽が高いと思われたため、手持ちの浴衣の中でもいちばん涼しい絞りの浴衣にしました。

絞りの浴衣はふわふわして風をよく通すので、帯を締めているところ以外はとても涼しいのです。



富岡八幡宮の特設舞台の観客席は大樹の木陰になっていて、思いのほか心地良かったです。

同じ都内でもアスファルトのビル街と、古社の境内とでは体感温度がずいぶん違うんですね。

2013年8月15日木曜日

深川八幡祭り・能奉納

8月14日は、富岡八幡宮例大祭の能奉納を初めて拝見しました。



前半は、シテ方桑田貴志師のご子息(可愛かった!)とお社中の仕舞&連吟があり、
その後、笛方・寺井宏明師の一管があって、それから半能《高砂》の奉納でした。

先月、美保神社で拝見した巫女舞の時も感動したけれど、
神々に感謝を捧げる祭りの一環としてのプリミティブな原点に立ち返ったお能には、通常の能楽堂での演能とは趣を異にする独特の味わいがあります。



特設の舞台

半能《高砂》  後シテ(住吉明神)  桑田貴志
          ワキ(神主)      野口能弘
    囃子方:柿原光博(大鼓)、田邊恭資(小鼓)、梶谷英樹(太鼓)、寺井宏明〈笛〉
    地謡:小島英明、鈴木啓吾、永島充



《高砂》はとってもノリが良くて好きな曲です。
この日の《高砂》も蝉しぐれの中、囃子と地謡と住吉明神の舞が渾然一体となって、
真夏の夕べの熱いジャズセッションのようにカッコイイ!


特設舞台が通常の能舞台よりもかなり狭いので、動きの多い舞を舞うシテ方が落ちないかとちょっとハラハラしましたが(面をかけると視界が狭くなるうえに、面の中はおそらく額から滝のような汗だろうから、シテ方はほとんど視界がきかなかったんじゃないかな。目印になる柱もないし)、狭い舞台上でもダイナミックで清々しい舞を見せてくださって、さすがでした。


私は2列目に座っていたのですが、舞台が狭く通常より低かったおかげで、ものすごい至近距離で拝見できたので、迫力がありました。




能奉納のあとは境内を散策。上の写真は大神輿。

深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門が江戸期に奉納した神輿が関東大震災で焼失したため、平成に復元された日本一の大神輿だそうです。



横綱力士碑




深川不動堂

不動明王の真言「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん」を唱えて、お祈りをするそうです。


境内を一巡して戻ってみると、能楽師の方々が私服に着替えて帰るところでした。
みなさんとてもラフな格好で、先ほどとのギャップが面白い。
なかには小鼓方の田邊師のように、IT企業にお勤めのビジネスマンのようなファッションの方もいらして、家路に向かうサラリーマンの波の中に違和感なく溶け込んでいました。

その後ろ姿を見送りながら、あの舞いも囃子も謡いも一瞬の夢のようだったと、二重のメタ舞台を見ているような気分で帰途に就いた夢ねこでした。

2013年8月14日水曜日

浴衣になごや帯で

假屋崎省吾の世界展に行った時のコーディネート。


まだ袖を通していない薄物が何枚かあるので着物にしたかったけれど、
この日の最高気温は36度!!

家族にも「この酷暑に着物は無謀だ!」と言われ、泣く泣く、浴衣で三越へ。


それでも、老舗デパートに夏祭りファッションで行くのも気が引けるので、紗献上なごや帯に白足袋を履いて出かけました。

でもこのコーディネート、けっこう好評で、知らない人からたくさん声をかけていただきました。



全体像はこんな感じ。

全体の色数を少なくして、いつものようにスカイブルーの帯揚げがアクセント。



三越に行くと、この暑さでも着物の方が結構いらしたこと。

す、凄すぎる……。


年配のご婦人ともなると、塵よけのコートまで着ていらしたり。


夏着物の上に、さらに薄物とはいえコートを着るなんて、想像を絶します……。


熱中症にはくれぐれも気をつけましょう。

2013年8月12日月曜日

假屋崎省吾の世界展

8月の第2日曜日は、日本橋三越で開かれている『假屋崎省吾の世界展』へ。



展覧会を拝見する前に、本館1階の天女(まごころ)像の前で行なわれたデモンストレーション&トークショーに参加しました。




黒のボトムスにモーヴカラーのジャケットをすっきりと着こなした假屋崎さんは、小柄で華奢な方でした。
きっと身体に贅肉をつけるなんて、彼の美意識が許さないのでしょう。



小気味良いエネルギッシュなトークで観客を引き込みながら、テンポよくアレンジしていく假屋崎さん。

トークショー中は撮影禁止なので、上の写真はトーク終了後の作品の様子です。


花瓶の多くも假屋崎さんがデザインしたもの。
オブジェとしても素敵なうえに、初心者でも簡単に花が生けられるように、さまざまな工夫が凝らされていました。




假屋崎さんにちなんで「ショウゴ・エレガン」と命名されたラベンダーピンクのバラ。

花弁の数が通常の2倍もあるゴージャスで優美なバラです。

写真はスプレーローズを裾にあしらったアレンジメント。




                 こちらはカラフルで涼しげ。





                    寒色系で、涼感を誘う色合い。





     
            縦長ラインを強調しつつボトムにポイントを置いたデザイン。
            すっきり、シャープな印象。



こちらは假屋崎さんの作品ではなく、三越にディスプレイされていたアクアリウム。
金魚の水槽は、涼しげで心惹かれます。



新館7階の展覧会では、絢爛豪華な假屋崎ワールドが展開されていました。

お花も見事だったけれど、興味深かったのは彼がデザインした着物。

振り袖や打ち掛けもあったのですが、こちらは派手すぎて、ショー向きかな。



でも訪問着は、とても上品な色合いとデザインで思わずじっと見入ってしまった。

胡蝶蘭やダリヤなど、着物の柄にはあまり使われない意匠があってとてもユニーク。


個人的にいちばん気に入ったのは、百合とオンシジウムをデザインした着物。

青磁色の地色に、裾と袖部分だけモーヴカラーを配した気品のある一枚でした。


假屋崎デザインの着物以外にも、20世紀初頭~前半に活躍した六世尾上菊五郎の《黒繻子地正月飾模様縫打掛》や、十世市川段十郎が所有した《白斜子地鯉の瀧登模様染縫着付》など、目も眩むほど豪華な刺繍が施された歌舞伎衣装も展示されていて、こちらも素晴らしかったです。


また、会場には、私の好きなショパンのワルツ第9番変イ長調が流れていて、うっとりと聴き入っていたのですが、これは假屋崎さんが演奏されたCDなのだそうです。
ほんとうに多才な方ですね。

ワルツ第9番変イ長調は、どこかアンニュイで、ミステリアスかつ物悲しい調子の演奏が個人的には好みですが、假屋崎のピアノはどこまでも優雅。 
展覧会の雰囲気と花々の香りにとても似合っていて、夏のけだるい午後の甘美なひとときを満喫しました。