2012年10月22日月曜日

落合きものスタンプラリーでのコーディネート

 
染色工房をめぐるので、
前日までは江戸小紋か更紗の袷のきものにしようかなと思っていました。

しかし、急遽このようなコーディネートに変更。



着物:御召の単衣。

帯:横段模様の紬帯。

帯締めと帯揚げで秋らしい色合い(?)に。


日曜日の昼間は暑かったし、スタンプラリーでガンガン歩くので(おまけに各工房の中も人がいっぱいで暑かった!)、単衣にして大正解。

それでもけっこう汗を掻いたくらいでした。
お散歩日和のいいお天気でしたからね。

(江戸小紋の工房に江戸小紋を着ていくのは、なんとなく勇気がいるような気がするのは夢ねこだけでしょうか……。)


それにしても、
ラリーに参加した着物姿の人たちは、紬や木綿、小紋や付け下げ、色無地など、ドレスコードがバラバラで、帯の組み合わせもさまざま。

みんな十人十色のコーディネートで、見ていてとっても面白かったです。


着物のコーディネートって、各人がそれぞれの感性で自分らしさを表現する、一種のアートなんだとあらためて感じました。

雑誌とかに掲載されているモデルさんの整った完璧な着姿を見るよりも、普通の人々の個性豊かな着物姿を見るほうがダンゼン楽しい!

工房での職人さんの説明の時も、観客の後ろの方にまわって、
みなさんの着姿をウォッチングしていたのですが、
キッチュな美とでもいうようなカオス的パワーがみなぎっていました。

2012年10月21日日曜日

2012年「第11回 染のまち落合 スタンプラリー」へ

日曜日、新宿区落合で開催された「第11回染のまち落合スタンプラリー」に参加しました。

このイベントは、江戸小紋の「松綱染工所」、江戸更紗の「染の里二葉苑」、東京友禅の「アトリエ功」「東京手描友禅工房協美」、湯のし「吉澤湯のし加工所」をスタンプラリー形式で工房見学をしながらめぐるというもの。

きものを着ていくとさまざまな特典があるので、町は着物姿の女性であふれていました(眼福・眼福)。


『二葉苑』の江戸更紗

スタンプラリーのゴールとなったのが、江戸小紋・江戸更紗の『染の里・二葉苑』。

職人さんたちが、「引場」「蒸場」「水元」「板場」といった各工程の作業場をていねいに解説してくださいました。

(各作業場の解説はこちらをご覧ください。)



板場での作業
板場では、板に張った白生地のうえに伊勢型紙を置いて、染色と糊の塗布を行います。
(板場担当は和更紗職人の中野史朗さん)


熟練の手仕事には無駄がなく、
気の遠くなるような繊細・緻密な作業を的確に、リズミカルに進めていく。
全体の動きがなめらかで、美しい。

仕事に魂と情熱を注ぎ込む職人さんの姿には、胸を打つものがあります。

どんな仕上がりになるのだろう。 見てみたかったなー。


伊勢型紙
鉄板かなめし革のように見えますが、これは、和紙を柿渋で貼り合わせた渋紙に神業ともいえるほど精緻な文様の彫りを入れた伊勢型紙。

伊勢型紙は、需要の低下・職人の高齢化・後継者不足などのために、存続が危ぶまれているそうです……。


摺り刷毛

さきほど、職人さんがくわえていたのがこの摺り刷毛で、シカの毛でできているそうです。

徐々にすり減って適度な短さになったものが、使いやすいとか。


二葉苑のギャラリー兼カフェ

二葉苑にはギャラリーやカフェも併設されていて、しっとり落ち着いた素敵な雰囲気でした。



スタンプラリーのカード

ポストカード大のスタンプラリーの用紙は、各工房で一色ずつスタンプを重ねて、最後に素敵な多色刷りの模様が出来上がるという、染のまちならではの洒落た趣向。

記念になります。


スタンプラリーの景品など
左は、ラリーを完走した記念の「落合ほたる特製ピンクの手拭い」。
  可愛い色なので、ウールや紬の時の半襟に使ってもよさそう。

中央の赤いバッグは、着物を着て完走したので当たった抽選の景品。

右のガマ口は、二葉苑特製の「親子ガマ口」(ガマ口の中にガマ口が入っているやつ)。
シルク地に更紗の染め文様が入っているという素敵なガマ口で、お土産に購入。


そんなわけで、着物美女に囲まれて一流の工房を見学するという、このうえない至福の一日でした。

2012年10月19日金曜日

ムットーニ新作展・NIGHT PARADISE

自動からくり人形師ムットーニこと武藤政彦さんの新作展の案内状が届きました。




渋谷パルコのロゴスギャラリーで2012年10月31日から11月12日まで開催。
http://www.parco-art.com/web/logos/exhibition.php?id=517


今回のテーマは「Night Paradise」とのこと。

『真夜中のビックバンド、月を見上げる恋人達、そして夜空に煌めく電波塔。それらの輝きは、とても愛しい「Night Paradise」』


ムットーニらしいコピーですね。


是非とも参戦したい!

急ぎの仕事が入らないことを願って……。













2012年10月18日木曜日

きものサローネイン日本橋でのコーディネート

着物のイベントに参加するのは初体験。

ドレスコードがわからないので、とりあえずこの秋はじめての袷の小紋にしました。



この小紋はどっしりと重みがあって、「やわらかもの」ならではのしっとりとした手触りと、

シルクらしいトロンとした風合いがあります。

紬を着ることが多い夢ねこですが、こういう女性らしい着物もいいものですね。



帯は秋の草花模様の八寸帯。

小紋の八掛けのカシス色に合わせてこの色の帯を選んだけれど、

もう少し上質の帯を締めていけばよかったかなあと他の方々の着姿を見て思いました。


(着物好きの方々が集まるイベントって、帯や小物が大事ですね……。

勉強になりました。)





全身像はこんな感じ。

こういうやわらかものは、身体のラインに沿ってくれるので、着やすいです。















2012年10月17日水曜日

ようやく単衣おさめ?

すこし日付が前後しますが、一昨日の月曜日、国立能楽堂で開催された能楽研鑽会に行ってきました。

そのときのコーディネート;



この日は最高気温が25度で暑かったので、御召の単衣。

この御召はけっこう厚地なので10月にちょうどいいくらいです。

(能楽堂でも和服の人は単衣が多かったみたい。暑い日は10月下旬くらいまで単衣でもいいんじゃないかな……。)



帯は、もめんの更紗帯。

全通柄で長めなので、ビギナーには結びやすい。


帯締めと帯上げは、ぴりっとスパイシーな赤にしました。


こういう地味めなきものに、帯や小物でアクセントを効かせるのが自分らしいコーディネートのような気がします。

(着物のコーディネートって、微妙に性格が反映されるのかもしれません。)













2012年10月16日火曜日

きものサローネ イン 日本橋 PartⅡ

きものサローネ イン 日本橋2日目。

最初に参加したイベントは、『七緒』などでおなじみの秋月洋子さんに学ぶ

「きもののセンスを磨く」。

秋月さん流のコーディネート術が紹介されます。

着物スタイリストの秋月洋子さん


相変わらず、シックなコーディネート。

こういうぼんやりした色合いは、夢ねこ自身はまったく似合わないのですが、似合う人には、都会的で洗練された感じになって素敵なのでしょうね。

参考になったのは以下の2点。

(1)色半襟の色は濃いめにして、ポイントを身体の上に持ってくると、バランスがとれたコーディネートになる。

(2)多色使いの小紋などの場合、その中のいちばん印象の薄い色を帯や小物に使うと、いつもとは違った意外性のあるコーディネートになる。
〈通常は、着物の柄の中の1番目か2番目に印象的な色を、帯や小物に使うので。)


ふむふむ。今度試してみよう。

きものサローネイン日本橋・PartⅠ

COREDO室町で開催された「きものサローネイン日本橋」の2日目に行ってきました。


和装の来場者にはモエ・エ・シャンドンのウェルカム・シャンパンが用意されているという嬉しいおもてなし。

夢ねこも美味しくいただきました。

振袖の反物でつくられたステージ上のオブジェ


スカイツリーと浅草寺の手拭い

ほかにも、きもの姿の来場者には、帯などが当たる「きもの冨くじ」も!

夢ねこは7等で、スカイツリーと浅草寺をあしらった手拭いでした。

ちょっとした東京土産に良さそうですね。


さらに、きもの姿をプロのカメラマンに無料で撮影していただけるという「きものフォトセッション」のサービスもあって至れり尽くせり。

夢ねこも撮っていただいて、いい思い出になりました。


〈PartⅡにつづく〉










2012年10月13日土曜日

『中国王朝の至宝』展講演会の時のきもの

金曜日の夜、
近くで開催された東京国立博物館特別展『中国王朝の至宝』講演会へ行ってきました。

そのときのコーディネート;



お天気が微妙だったので、藍染風ポリの単衣。

帯は、秋の草花をあしらった花車柄の八寸帯。


こういう着物って気軽に着れるし、合わせ易い色柄なので重宝します。


ポリエルテル製だけれど、ポリポリして(化繊っぽく)ないし、手縫いで丁寧に仕立てられていて、サイズもぴったりなので、我ながら良い買い物をしたかな(自画自賛音譜)。


夢ねこは、本とか持ち歩くのでけっこう荷物が多いし、ガンガン歩くので、10月でも単衣がちょうどいいくらい。

(袷を着て歩き回ると、正直暑いあせる



何よりも「きものを着ること」が大事なので、礼装や茶席以外は細かいり決まりごとに捉われず、自分が心地いいように着ていきたいですねドキドキ























2012年10月10日水曜日

午後の海列車

水曜日、家の近くで開催された谷内智範 (やち・とものり)さんのギター・ソロコンサートへ。


                  
プログラムは;

カナリオス(Gaspar Sanz

ブーレー(J. S. Bach

アルハンブラの想い出(Francisco Tarrega

午後の海列車(谷内智範)

マシ・ケ・ナダ(Jorge Ben

主よ、人の望みの喜びよ(J. S. Bach

        

アンコール

禁じられた遊び

幼い二人の姉妹


 

透明感のある美しい音色でクラシックやボサノバの名曲が奏でられていく。

                

とくに印象的だったのが、谷内さんのオリジナル曲『午後の海列車』。


この曲は、谷内さんが島根県の海沿いを列車で旅した時に着想を得たモティーフがもとになっているそうだ。


たしかにこの曲を聞いていると、山陰特有のどんよりとした空と鉛色の海が広がる物憂い午後の風景を、海岸列車の車窓からぼんやり眺めているような気分になる。



潮騒と列車の揺れる音がかすかに聴こえてくるようだ。


旅愁を誘う素敵な曲だった。




この日の着物


きものは、胴裏に「難あり」だったため、袷から単衣に自己流で仕立てなおした紺地の紬。

帯は、義母から頂いた紬地の帯を、自分で洗濯機で洗ったもの。

今日は腰だけでなく、胸にも補正をしたので、着膨れしたみたいに見えますね。



























2012年10月7日日曜日

「着て来て落合」2012年 染のまち落合スタンプラリー

LUNCOさんにご来店されていた更紗職人さんの所属団体が主催するイベント情報。

2012年10月20・21日に第11回 染のまち落合 スタンプラリー「着て来て落合」が開催されます。
http://www.otiaihotaru.com/styled/



「染のまち」と呼ばれる染色工房の多い新宿区落合。


「着て来て落合」は、期間中、各工房を自由に訪れて、工房独自の染色の実演を拝見できるというイベントです。

↓のような工房があります。

                       


西武新宿線中井駅と下落合駅沿いの5つの工房をスタンプラリー。

       



当日着物で参加してスタンプラリーを完走すると、抽選で↓の写真のような豪華な帯が当たるそうです。

和装でなくても、ラリー完走者には各日先着200名に特製手ぬぐいがプレゼントされるとのこと。



いずれにしろ、

着物関係の工房で実際の作業工程を見てみたかった夢ねこには、うれしいイベントです。


行楽の秋、お散歩がてらに参加してみてはいかがでしょう。







LUNCOさんの「さらさっさ」展へ

目白にあるLUNCOさんの「さらさっさ」展に行ってきた。

http://www.lunco.net/



超有名店のLUNCOさんだけど、夢ねこが行くのはこれが初めて。


店内はアンティーク着物や古裂や小物のおしゃれなギャラリーといった感じだ。

一流の審美眼によって厳選された、美しい色柄を持つ上質な着物や帯。

見ているだけで胸がときめいて、幸福感に満たされる。


今回ラッキーなことに、若手の更紗作家さんがたまたま御来店されていた。

おかげで更紗製作にまつわるお話や更紗の起源、それぞれの地域の伝統更紗の特徴などを、直接うかがうことができた。


更紗って、「サラセン」と語感が似ているから、てっきりペルシャ由来だと思っていたけれど、インド更紗が起源だとのことだった。

(唐草模様や幾何学模様からなる「サラセン模様」というものがあるが、インド更紗も、サラセンの影響を受けているらしい。)


インド更紗は、木版で木綿にプリントするのが一般的だそうだ。

ジャワ更紗には、何度も何度も布に蝋を置いて(蝋置き)、色を落としていく蝋防染の技法が用いられる。

日本の更紗(和更紗)では、伊勢型紙のように柿渋を幾重にも塗った和紙に、気が遠くなるほど繊細緻密な文様を彫った型紙などが使われる。

幅30センチほどのこの型紙を使って、継ぎ目がわからないように摺りこんで染めていくのが、日本の伝統的な更紗技法だ。

ただし、和更紗のなかには、手描きのものや木版を使ったものもあり、たとえば、友禅染めの技法で更紗文様を描いたものでも「更紗」と呼ばれることもあり、その定義は一定していないそうである。


江戸小紋などの型染め職人は比較的多いけれど、更紗職人の方は絶滅危惧種のようなもので、その伝統を受け継ぐ若い人はほとんどいらっしゃらないのだそう。


今日、お話をうかがった若手更紗職人の方は、この類まれな伝統技法を受け継いでいこうという、気骨と情熱のある方だった。


















背中のエクササイズ?

10月最初の日曜日、いよいよ着物の季節の到来です。




袷の時期だけれど、まだまだ袷は暑いので、木綿の着物。

木綿の着物って意外と厚みがあるので、9月に着るには暑かった!
ようやく出番がまわってきました。


帯は、スタンダードな唐子の塩瀬なごや帯。

この帯、短めだし、芯が入っていなくてクタクタ、そのうえ太鼓柄がなんだか変てこな位置についているので、結びにくいことこの上ない。


5回くらい結びなおして、ようやくなんとか形になりました。

おかげで襟元がぐしゃぐしゃ。

腕を背中にまわして、あれこれやっていたので、ものすごく腕と背中の筋肉のエクササイズになった気がします。

実際、帯結びって柔軟性が要るし、普段使わない筋肉を使いますよね。


塩瀬の帯はこれ一本しか持っていないので一概には言えないけれど、結びにくいから苦手。

夢ねこのこの帯だけ特別結びにくいのだろうか、それとも、塩瀬の帯は全般的に結びにくいのだろうか……。































2012年10月4日木曜日

国立能楽堂公開講座へ


9月最後の土曜日、国立能楽堂の公開講座にはじめて参加した。

 この日は、7月に市の能楽講座で講師を務めてくださった国文学研究資料室の小林健二先生による『縁起物語と能――《養老》《江島》をめぐって――』。
 
 
寺社などの由来や霊験などの伝説を記した縁起物語・縁起絵巻と能との関連を検証していくのが、今回の講座のテーマである。
 
前半は、従来は『十訓抄』や『古今著聞集』を典拠とするとされてきた世阿弥作《養老》と、《養老縁起》との考察。

養老寺に伝わるとされる《養老縁起》をもとに、世阿弥が《養老》を作曲したと考えられる根拠となったのが、天野文雄先生の論文「《養老》の典拠と成立の背景――『養老寺縁起』と義満の養老瀧見物をめぐって」だった。

この論文によると、世阿弥のパトロン・足利義満が、伊勢神宮を参拝したついでに美濃国に立ち寄り、養老瀧その他も見物した。その後入洛した際に、近江の草津まで「其外諸道ノ輩」が出向いて、将軍の帰還を祝ったという。

この「其外諸道ノ輩」のなかに世阿弥も含まれたと考えられ、義満入洛の祝宴の席で語られた養老縁起からインスパイアされて、世阿弥は《養老》を作曲したのではないかと推察されるとのことだった。
 
可能性としては充分にあり得るけれど、ただ、典拠とされる『養老縁起』が江戸前期のものだというのが、この考察のネックとなっている。
養老寺にもっと古くから(世阿弥よりも前の時代から)伝わる『養老縁起』が見つかれば、もっと強力な根拠となるのだが。
 
世阿弥の《養老》には、鴨長明の『方丈記』の有名な一節を引用したような表現(「夫れ行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にはあらず」)や、菊慈童の話を参照した詞章(「彭祖が菊の水。しただる露の養に。仙徳を受けしより。七百歳を経る事も薬の水と聞くものを。」)などが散りばめられ、七五調の謡が川の流れのように心地よく流れていく。

「よき御代なれや。万歳の道に帰りなん。」というお目出度い結末で締めくくられるこの曲は、「若返り(不老長寿)」という無常観とは真逆のテーマを扱った作品である。権力者の歓心を買うためにその御世を讃えるには、これくらい毒気のないハッピーエンドな演出が必要だったのかもしれない。
 
 
後半は、観世長俊(世阿弥の甥・音阿弥の息子・観世小次郎信光の嫡男)による《江島》と『江島縁起絵巻』との関連の論証である。
長俊の作品は、父信光のショー的・スペクタクル的な作風をより徹底させた演出が特徴とされ、ヴィジュアルに訴える絵物語的な要素が強いと評される。
 
能《江島》の詞章と、『江島縁起絵巻』の詞書および絵とを比べて見ると、その影響関係は明らかだ。
これは、長俊が熱海に湯治に行った折に『江島縁起絵巻』をその目でじかに見て、おおいに触発された結果、《江島》を作曲したからだと考えられる、というのが後半の結論だった。
 
今回も講師の小林先生が非常に楽しそうに話して下さったので、この講義もとても興味深く拝聴することができた。


小林先生が担当された市民講座の内容は↓の記事にまとめています。
http://yumenekopart2.blogspot.jp/2012/07/blog-post_19.html

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




 
 

2012年10月2日火曜日

ブログの出戻り

10月になった!

心機一転、あらたにブログを始めることとする。


実を言うと、このブログの前に、ブログを2度ほど開設した。


いちばん最初のブログ(長女ブログ)は、同じGoogle Bloggerの以下のブログ。

うつし世は夢、夜の夢こそまこと
http://yumenokyusaku.blogspot.jp/


これは大震災をはさんでちょうど2年ほど続けた人生初のブログだった。

とくに、震災・原発事故直後の、あの日本の、日本人の異様な雰囲気を感じたまま綴った記述は自分にとって貴重なものだ。

あれ以来、世界観・価値観が一変した。

いままで漠然と疑問に思ってきたけれど、あえて言葉にしないで有耶無耶にしてきたことが、
はっきりと形になって現れてきた。

そして、わたしは進むべき道を見失った。

どちらに進むべきなのかわからなくなった。

いや、もっと以前からわからなかったのかもしれない。

分かったふりをして、生活を続けてきただけかもしれない。

とにかく、もうこれ以上、曖昧なまま続けていくことができなくなった。

なにもかも。

震災から一年が過ぎ、被災地に向かった。

過酷な現実がそこにはあった。

そして、正直に言おう、自分には耐えがたかった。

自分の無力感と、卑劣な人間であるという劣等感に耐えられなかった。

自分は何もできないまま、逃げ回っているだけなのだ。


……そして、タガがはずれた。


のっぽさんの着物道
http://ameblo.jp/yumenokyusaku/

アメブロという超ミーハーな場所で新天地を切り拓くつもりで始めたブログ(次女ブログ)だったけれど、要するに、自分の肌に合わなかった。

やはり私は、世界の片隅で、ひっそりと気ままに好き勝手なことを書くのが性にあっているようだ。


広告も何もない無味乾燥なデザインにできるBloggerは

故郷のように、静かにわたしを迎え入れてくれた。


追記:

この記事以前の投稿は、旧ブログ『のっぽさんの着物道』からおもな記事を移し替えたものです。

ただ、著作権の問題からか、画像がときどき消されたりします。

自分による自分の画像に対する著作権の侵害?

皮肉なものです。

2012年9月30日日曜日

『加賀の能楽名品』展

国立能楽堂に行ったついでに、特別展『加賀の能楽名品』展にも立ち寄ってみた。

 

兼六園の入口にある金沢能楽美術館所蔵の能面・能装束をはじめ、加賀百万石伝来の名品・優品が公開されていて、想像以上に見ごたえのある展示だった。

尾山神社所蔵の《悪尉(あくじょう)》の面は、「尾山神社を出ると雨が降る」という言い伝えがある秘蔵の面。

その昔、海中に沈んでいたこの面は引き上げられ、その際に面が謡をうたい、口より淡を吹き出したと伝わることから「淡吹の面」とも呼ばれる。

室町時代のもので、「ヤマト/ヒカ井モト/七郎作」という刻銘がある。


老翁の怨嗟や妄執を具現化した、背筋がゾッと凍りつくような怖ろしい面だ。
(*上掲パンフレットを飾るのがこの能面)


ほかにも、《小面》(「越智作〈花押〉/本/秦氏昭(花押)」の金蒔絵銘)や、《般若》(「天下一河内」焼印)、《曲見(しゃくみ)》(「天下一是閑」焼印)等々、どの面にもそれぞれの世界と思いとパワーが奥底に宿っていて、見ていると吸い寄せられるようだった。

人間の深い感情や情念をこれだけ見事に造形化するなんて、世界の文化を見ても、あまり類例がないのではないだろうか。


能装束の織の技術と意匠も素晴らしく、その文様にはさまざまな意味が込められていた。

以下はおもな作品の覚書。

《紅地入子菱松橘向鶴丸模様唐織》

丸文のなかに、阿吽の姿で向かい合う鶴が織り込まれている。阿吽は、万物の根元と究極、世界の始まりと終わり、つまりは無限を象徴する。鶴の嘴の上には若松、下には橘が織り表わされ、吉祥の意匠となっている。



《紅地幸菱椿折枝模様唐織》

繁殖力の強い菱は繁栄の象徴。椿は霊力を持つ聖木とされ、こちらもおめでたい文様が表現されている。


《濃茶地霞楓模様唐織》

濃茶地に、さまざまな色糸で楓が紅葉する様が織りだされている。錦秋にふさわしい唐織。


               
《薄茶地波鯉模様袷法被》

名物裂『荒磯緞子』を織り出したもの。竜門(黄河の上流にある竜門山を切り開いてできた急流)を泳いで登り切る鯉は竜になるという中国の有名な故事「登竜門」を文様化した立身出世の象徴。



《紫地籬(まがき)鉄線模様長絹》

落ち着いた紫の絽地に、鉄線唐草を金の錦糸で、鉄線を這わせる破れ籬を白の錦糸で織り表わした繊細優美な長絹。現代でも、こんな色柄の絽の着物があると素敵だなと思わせる作品だった。


『バーナード・リーチ』展でのコーディネート

この日は、ようやく30度を下回る「比較的涼しい」といわれる日でした。

とはいえ、「今までの厳しい残暑に比べると涼しい」というあくまで比較の問題。

もうお彼岸なのに、まだまだ暑かったです。



そんなわけで今日は、麻混ポリのちぢみにしました。

紅葉柄のこの着物は透け感がほとんどないので、 薄物から単への移行期にちょうどいいみたい。


半襟もようやく塩瀬に。
(さすがに、もう絽じゃやばいよね。)


帯は、紬地のなごや帯にしました。

この帯は比較的細めなので、単の時期の普段きものにぴったり (o^-')b


帯締めなどの小物も軽めだけれど、色合いで秋らしく(?)




余談だけど、『バーナード・リーチ』展や民藝展なので、来館者も 民藝好きの人が多く、紬や木綿の着物を着た人がたくさん来ているかなとひそかに期待していたのですが、この日は、着物率が非常に低く、いや、低いというか、和服姿は夢ねこひとりだけでした……。


(電車の中にも着物の人はいなかったなー。)


一般の人の着物姿に飢えているので、ちょっと消化不良。

10月に入ったら、増えるといいな♪


2012年9月29日土曜日

『バーナード・リーチ』展生誕125年 東と西の出会い

もう一週間ほど前になるけれど、横浜高島屋で開催されている『バーナード・リーチ』展に行ってきた。

 

リーチの作品は、アサヒビール大山崎山荘美術館や大原美術館などで何度か見たけれど、彼の作品だけをフィーチャーした展覧会を見るのは今回がはじめて。

            

20代の10年間に日本に滞在した時に制作した最初期の作品から、1920年に帰英した際につくられたセント・アイヴスでの作品、その後、日本各地の窯元をめぐって、それぞれのやきものの技法を駆使して生み出した晩年の作品など、陶芸作品およそ100点と、素描・版画作品約20点が展示されていて、非常に充実していた。

                   

             
リーチと言えば、ガレナ釉という黄色の鉛釉や、スリップと呼ばれる粘土と水を混ぜた化粧土をかけて文様をつけるスリップウエアの技法など、英国の伝統的な技法を駆使した作品が有名だ。


今回の展覧会にも、《ガレナ釉筒描具りフォン文大皿》など、ラスコーの壁画を思わせるような雄渾でプリミティブな味わいのある作品が紹介されていた。


そうしたダイナミックな作品も素晴らしかったが、個人的には、香合や白磁などの洗練された優雅で繊細な作品がとくに心惹かれた。


《呉須彫絵盒子》は、ブルーグレーの精妙な色合いの地に、パウル・クレーの絵のような抽象画が描かれた精緻な作品だ。他にも、オパールのような輝きを秘めた入れ物に、カタツムリの姿がうっすらと浮き上がる香合もあった。

             

《白磁縞手草文鉢》や《白磁平茶碗》の白磁の作品は、リーチの人間性を映し出すかのように気品のある凛とした佇まいをしていた。

ほんのりと青味がかった透明感のある白さは、まわりの空気をも清めてくれるような厳かな気配を漂わせていた。


セント・アイヴス窯でつくられたというから、この白磁の陶土もセント・アイヴスのものだろうか。


アイルランドの姫・聖イアにちなんで名づけられたセント・アイヴス。

聖女の土からつくられた聖なる白いやきものである。


                          

志村ふくみの名著『一色一生』に、リーチのこのような言葉が引用されている。


             
「昔は名もない職人が家具や陶器を作っていた。李朝の白磁を見ても、とうてい自分のものなど遠く及ばない美しさを持っている。現代という時代は、中世とは違う人間を作ってしまった。芸術家という化物に変ってしまった工人はどう身を処すればいいのか。

答えは展覧会でも、個展でもない。

一つの作品がもっと深いところで大きな存在につながっており、作者の精神と呼応し、一体となっている重大な点を見逃してはならない。「生命(いのち)」これが仕事の根幹である。写実の出来、不出来により生きているというのではなく、深い生命の根源につながっているかどうかということである。

人間には自然に具わった機能、頭・心・手があり、工芸はこれらを偏りなく使う数少ない営為の一つである。

工人が仕事をするとき、次の二つのことをしている。

一つは使って楽しく、役に立つものを作る。もう一つは、形の完成を目指す終りのない旅である。この二つの活動が合わさり、工人と素材と一つになったとき、ものに『生命』が注入される。」


たしかに、リーチの作品には、生命(いのち)が宿っていた。


2012年9月17日月曜日

池坊展でのコーディネート

池坊展にいったときのコーディネートです。



この日は、急に雨が降りだしたり晴れたりする不安定なお天気だったので、 塩沢御召風(?)ポリの着物。

帯は、以前ちょこっとだけお茶を習っていたときに、社中の先輩からいただいた菊柄の名古屋帯。

やわらかくて締めやすいので、愛用しています。
(先輩、ありがとうございます!)


池坊展と画廊を観てまわった後、呉服売り場にも行ってみたのですが、 そのとき、親切な店員さんが帯締めの結び方を直してくださいました。

(上の画像は、帯締めを直していただいてからのもの。)



やはり夢ねこの結び方は間違っていたみたい (>_<)

(丸組だと目立たないのですが、平組にすると結び方のアラが分かりますね。)



↓夢ねこ用帯締めの正しい結び方

http://www.sgm.co.jp/kituke/01aeaeo/04aoaeuaeaoieoeeoe/













2012年9月16日日曜日

困った時の献上博多

着物や帯や小物に悩むこの時期。

とりあえず、困ったときは「博多頼み」。



変わり織りの献上なごや帯を締めてみました。

着物は、秋口にヘビロテ中の藍染綿縮。


じつはこの縞献上の帯、 届いたときは、いかついイメージで「失敗したかな~」と思ったのですが、
締めてみると、なんとか使えそうです。




博多帯は、一昨日、NHK教育テレビの『花鳥風月堂』で

雪乃さん(檀れい)が締めていた白い献上博多が素敵でしたね。

http://www.nhk.or.jp/koten/japanese_art/01/



まあ、雪乃さんの着物は何でも素敵なのですが。

今度は、もう少し甘めの女らしい献上柄がほしいと思う夢ねこでした。

2012年9月15日土曜日

あたらしい着物暦を!

9月半ばとはいえ、連日30度越えの残暑の厳しい東京。

とりあえず、小物だけは秋ものにしてみました。



着物は、ようやく出番が回ってきた浴衣兼用の綿麻紬。

(7月に着た時は暑苦しい色だった~。)

                
帯は、曖昧な時期に活躍してくれるポリ献上のなごや帯。




下の画像は、帯揚げを明るい黄色に変えた例。

上の画像の、くすんだ緑色の帯揚げだと落ち着いたイメージ。

下の黄色の帯揚げだと、顔映りがぱあっと明るくなります。

よく言われることだけど、帯揚げひとつで印象は変わるものですね。



それにしても、ここ何年かで気候ががらっと変わったし、もともと着物の暦って、太陰暦にもとづいているから、 現状に合うように着物暦をフレキシブルに改変して、9月にこそ夏着物を楽しんでもいいんじゃないかなー。


群ようこさんも『きもの365日』で、

「新しいきものの衣更え暦が必要だ、というか、もう、あまり、礼装以外はきちきちすぎるのはやめましょう」

と書いていらっしゃるけれど、まったく同感。



着物って、ほんと、決まりごとばかりで (とくにお茶の世界の着物などはがんじがらめで)挫折しそうになる。


9月いっぱいは浴衣もOK、ぐらいに、もっと気楽・気軽に、着物を楽しめるようになればいいのにと切に願います。

2012年9月7日金曜日

端境期を半幅帯でしのぐ!

東京は今日も33度を超えましたね~。

前回書いたように、残暑厳しい9月、帯と帯締めに悩む夢ねこです。




窮余の策として、半幅帯を使ってみました!


(着物は、先週も着た藍染木綿のちぢみ。)


この博多織の半幅なら、横に何本かラインが入っているので、

帯締めがショボくても目立たないかな~という、苦肉の策です (;^_^A



この機会に、帯締めについていろいろ調べてみましたが、

ほんと、奥が深いですねえ……。


たかが紐だと、完全にあなどってました (*v.v)。


集めた情報によると、素人と着物通を見分けるには、

帯締めとか、振りからチラリと見える襦袢とか、草履とかがポイントになるとのこと。


その通りですねー。

ビギナーだと、そこまでなかなか気が回らない、

というか、着物と帯でいっぱいいっぱいで、そこまですぐには投資できない、

というのが実情です (T_T)



冠組の帯締めが気になっていろいろ見ているのですが、

やはり中国製の安物は、見るからに糸目が甘く、染色も工業的でどぎつくて、

安っぽい。


道明などのいいものは、目が詰まっていて、形状も端正に整い、

色合いも繊細。

清楚な貴婦人のように洗練されていて、見ていてウットリする。



少しずつ目が肥えてくると、いいものはいいなあと思うようになり、

それにともない、出費もかさんでしまうのですね……。


まあ、少しずつ揃えていきましょう。

(といいつつ、大人買いしたい衝動に駆られる夢ねこです。)



帯締めの選び方にはいろいろあるけれど、

帯の色目と反対色を選ぶと、ピリッとスパイスの効いたコーディネートになるそうです。


夢ねこは、淡い上品な色はあまり似合わないので、

このテクニックは使えそう。

2012年9月1日土曜日

大英博物館・古代エジプト展へ

9月の第1土曜日、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで

開催されている『大英博物館・古代エジプト展』に行ってきた。



上野の『ツタンカーメン』展の陰に隠れて、いまいちマイナーだけれど、

ミイラ数体に人形棺、スカラベや心臓形護符、ファラオの宝飾品や副葬品、

黄金のミイラマスク、オシリスの神像や書記官の像など、とても見ごたえがあった。


なかでも圧巻は、

『死者の書』が描かれた世界最長のグリーンフィールドパピルス。

37メートルものパピルス(もとは巻き物だった)が一挙に公開されていた。


エジプトの『死者の書』とは、死者が再生・復活を果たし、永遠の生命を得る

ための呪文が描かれた、冥界の旅のガイドブックだ。


グリーンフィールドパピルスでは、「冥界の王オシリスを礼拝する場面」から

始まり、「ミイラとなって墓に運ばれる場面」、「口開けの儀式の場面」へと続く。


口開けの儀式とは、死者が供物を食べたり、冥界での問答に答えたりできるように

手斧でミイラの口を開ける儀式のこと。


さらに、冥界の旅の行く手を遮るワニやヘビを退治した後、冥界の王オシリスが

玉座に坐す、有名な『審判の場面』が描かれる。


ここでは死者の心臓が天秤にかけられる。


天秤の片方には、真理の女神マアトの小像。

サギの頭をしたトト神(書記の神様)が、天秤の傾きを記録し、

山犬の頭をした墓の神アヌビスが目盛りに見入る。


天秤がわずかでも傾けば、死者の神像はアメトド(ワニの頭とワイオンの胴、

カバの下半身をもつ怪物)に食べられ、死者は二度目の死を迎え、

未来永劫、復活への道が閉ざされる。


しかし、『死者の書』には、二度目の死を避けるための呪文もちゃーんと

用意されているのだ。


『死者の書』っておどろおどろしいイメージがあるけれど、実際には、

死んでも大丈夫ですよ、いろんな困難が待ち受けているけれど、

呪文がいろいろあるから、最後にはきっと永遠の命を手にすることができますよ、

という明るくポジティブな手引書なのである。


それに、この審判のなかには「罪の否定告白」というものが含まれていて、

生前に「理由なく怒らなかったか」とか、「決して悲嘆に暮れなかったか」とか、

「人を中傷したことがなかったか」とか、「嘘をつかなかったか」といった42の

罪に対して、すべてを否定しなければいけない。


よほどの聖人君子でも生きていれば、嘘をつくこともあるし、人の悪口を言うことも

あるし、機嫌が悪くてプリプリすることもだろう。


つまり、誰もが何らかの罪を犯しているはずだから、罪を否定することは、

「真実の場で嘘をつかなかったか」という問いに対して嘘をつくことになり、

どのみち罪を犯すことになってしまうのだ。


これが仏教ならば、閻魔さまに見透かされて、舌を抜かれてしまうところだが、

どこまでもシラを切り通すことで、めでたく冥界の王の裁きをクリアできると

思うところが、古代エジプト人の楽天主義なのだろう。


また、古代エジプト人は「イアルの野」という楽園で、農耕生活を営むなど、

現世と変わらない生活を営むことを願ったのも、日本人の極楽観とは

違っていて面白い。

それほど、ナイルの恵みって豊かだったのだろう。

(ただし、王墓の副葬品の中には、死者の労働を肩代わりする「シャブテ」という

彩色された埴輪のような人形もあったので、やはり王侯貴族はあの世でも

労働とは無縁な優雅な暮らしを営むことを願ったのかもしれない。)



それにしても、展示品のほとんどは2000~4000年前につくられた、

木やパピルスなどの紙でできた品々だったが、保存状態がとても良く、

これほど見事な形で残っているのは奇跡のようだった。


エジプト文明崩壊後、ナイル川流域の砂漠化が急速進んだことと、

英国支配下のもと、数多くの遺跡が持ち去られ、

大英博物館で厳重に保管されたことが大きく関係しているのだろう。


こと文化に関しては、欧米による植民地支配がその保存に大いに

貢献したと言わざるを得ない。

英国の支配を受けていなければ、今頃は、偶像崇拝を禁止するイスラム過激派に

こうした遺跡はことごとく破壊されていただろう。


(残念ながら程度の差こそあれ、同じことが日本にもいえる。

明治維新後、日本文化を高く評価したのは、一部の審美眼のある日本人を

のぞいて、欧米の芸術家や美術史家、コレクターたちだったのだから。)


いまこうして、東京で、これほど完璧な状態で目にすることができるのも

そうした歴史の偶然(必然?)や、遺跡の発掘者・解読者・保管管理者など

さまざまな人々の努力のたまものなのだ。


ちなみに、ミイラは包帯に巻かれていたけれど、やはり薄気味悪く、

一瞬意識が遠のきそうになった。

寒々とした冷気が漂っていたような……。




六本木ヒルズでは、「ギザの三大ピラミッドカレー」(2200円也。高っ!)など、いろんなコラボレーションメニューが用意されていた。

ほかにも、「クレオパトラ」や「ファラオ」というネーミングのカクテルや、

ケバブセットなどがあった。


エジプトといえば、クスクス料理しか食べたことないから、

カレーではなく、もっと本場のエジプト料理があればよかったかも。





追記:ミュージアムショップでジュート(黄麻)製バッグが売られていた。

これで夏帯をつくったら、味わいのある面白い帯になりそう。

2012年8月18日土曜日

絞りの浴衣で


残暑は厳しいけれど、朝晩は少しずつ秋の気配がしてきましたね~ (´∀`)

8月後半の土曜日、夕涼みがてらに近所のお祭りに行ってきました。




絞りの浴衣に、博多織の半幅帯。

この浴衣は、夢ねこが結婚したときに、義母が誂えてくださったもの。


もう何年も前のものだけれど、ふんわりした柔らかい風合いになって、

風を通してくれるので、とっても涼しい~(*^o^*)


色柄が夢ねこにはちょっと派手だけれど、帯で変化をつけて、 末永く着ていきたい大切な浴衣です。


それにしても、心はもう秋に向かっているのに、残暑が厳しくて、 この時期の着物って難しい。

浴衣も、夏きものも、新鮮味がなくなって色褪せて見える。

着物を着るようになると、心も季節を先取りするようになるから、 夏の装いは、もう季節外れに思えてしまう。


残暑とおしゃれとの兼ね合いが難しい、ちぐはぐな時期です。

2012年8月12日日曜日

桔梗柄の絽のきもの

夏が日増しに色褪せて、秋が恋しい季節ですね。 

今日は、桔梗柄の絽のきものを着てみました。



この着物は叔母からいただいたもの。

丈も裄も身幅もことごとく小さいので、外に着ていくことはできませんが、柄が涼しげで気に入っているので、おうち着として袖を通してみました。

これはデパートで誂えたものなので、夢ねこ所有のプレタの絽小紋と比べると、 どことなく着物自体に品がありますね~。

(当たり前といえば当たり前だけれど、プレタとオートクチュールの違いを身をもって実感!(*゚ー゚)ゞ


プレタって、リーズナブルで、丈も裄もそこそこあってそのまま着用できるから、ついつい買ってしまいますが、実際着てみると、心がときめかないというか、着物を着た時の、あの幸せな昂揚感がちっとも湧いてこないのです。

ときめきどころか、大量生産品が持つペラペラした質感にテンション下がりまくり┐( ̄ヘ ̄)┌ダウン


特に夏は、わざわざ暑さを我慢して着るのだから、自分がほんとうに気に入ったものでないと着る気がしないし。

そんなわけで、もうプレタには当分手を出さずに、サイズの合う、質のいい、手ごろな値段の着物をじっくり探すことにします。

夢ねこのハートをわしづかみするような、ときめく着物に出会えるといいな~恋の矢

2012年8月3日金曜日

はじめての紗の着物:透け対策と暑さ対策

ヤフオクでポチッたプレタの紗の着物を着てみました。


ポリエステル製ですが、シャリ感があって薄くて軽くて、ポリ絽よりも断然涼しい!




(前から気になってたけれど、夢ねこの帯締めの結び方、間違ってる?)



問題は、「透け対策」です。


ほんと、紗って、恐ろしいくらいスケスケ。


いろいろ工夫しないと下着が丸わかりになってしまいます。


「透け対策」と「暑さ対策」という矛盾する問題をどう解決するか。

(ついでに、経済的にいかにお金をかけずに解決するか、という問題もあります。)


そんなわけで、今回は手持ちの小道具であれこれ工夫をしてみました。



【上半身】

汗とりパッド付きタンクトップに、ポリ絽の半襦袢(身頃は木綿)


【下半身】

ベージュのクレープ地ペチコートに、爽竹の裾よけ。

(これで下着の線はカバーできた模様)


【二部式襦袢対策】

通常ならば、半襦袢の裾が表に響いてしまいます。

そこで、半襦袢の裾をペチコートの中に入れて、この問題をすっきり解消。

2012年7月29日日曜日

昭和記念公園の花火大会へ

いよいよロンドンオリンピック開幕 (^-^)/

開会式の花火も盛大でしたね~。

今日は夕方から昭和記念公園の花火大会に行ってきました。



綿紅梅の白地の浴衣。

数年前に購入したまま箪笥の肥やしになっていたので、今日が初おろしです♪

(白い浴衣って汚れが目立つし、透けるので、なんとなく袖を通すのがためらわれるのですね。)

透け対策には、洋服用のペチコートと浴衣用スリップを着ています。


帯は、お気に入りのシブ可愛いピンクとグレーの博多半幅帯。

帯と格闘の末、なんとか矢の字に結びました☆-( ^-゚)v



さて、立川駅の周辺は浴衣姿の人々であふれていました。

若い女性の半分くらいは、浴衣を着ていたんじゃないかな。

浴衣を着たチビッコたちも多かったし。

花火大会ムード満点でした。

夏はやっぱり花火と浴衣ですね~。

眼福、眼福(*^-^)b




昭和記念公園の中はすごい人なので、公園内には入らずに、某穴場でゆっくり鑑賞。

風が涼しくて気持ちよかったです。



今年は例年よりも打上げ時間が長いうえに、大きくて豪華は花火が多かったようです。

去年は自粛ムードだったものね。


こんな顔みたいな花火も。凝ってますね~。



夢ねこのしょぼいデジカメ写真ではお伝えできないけれど、実物はもっとダイナミックで、迫力満点で、美しかったです。

感動して涙が出るほど。

ほんと、こういうものをつくる日本人って凄いなあ。

夏の夜を満喫した一日でした。


2012年7月27日金曜日

祖母の手縫いの浴衣で

今日も暑かったですね~(^^ゞ

遠い昔、夢ねこが二十歳の時に祖母が仕立ててれた浴衣を着てみました。




反物の柄は、夢ねこが選んだのだけれど、当時から渋好みでしたね(*^.^*)

おかげで、二十年以上たった今でも、違和感なく袖を通すことができます。


浴衣が地味なので、赤い献上柄の半幅帯でピリッと引き締めて。
貝の口で結んでみました。

祖母はもうかなり高齢で認知症も患っているので、浴衣のことも、夢ねこのことも、覚えていないけれど、夢ねこの着物姿を見ると、とても喜んでくれます。


祖母がこの猛暑を乗り切ってくれますようにと、願いを込めて着てみました。

2012年7月19日木曜日

能楽講座:最終日は『敦盛』

水曜日の夕方、能楽講座の最終日に行ってきました。

面白い講座だったので、終わっちゃうのが寂しい~(T_T)



この日は、浴衣としても着られる綿麻紬に、麻の葉模様の半幅帯。

着物はプレタなので、身幅がかなり余っています。


良く言えば、早くも秋らしいコーディネート。

悪く言えば、暑苦しい色づかいでした。

やっぱり、夏に赤って涼しげではないですね~(反省!)。


今日の最終講義は『敦盛』でした。

中学か高校の古文の教科書で『平家物語』の「敦盛最期」を読んだときは、自分が敦盛と同年代だったので、そんなふうには感じなかったけれど、この作品は中世の少年愛嗜好が色濃く反映された作品だったのですね……。


当然と言えば当然なんだけど、やはりサヴァイヴァルには、「若さ」と「美」は欠かせない。

敦盛が「(熊谷直実の息子と同じ)よはひ程にて、容顔まことに美麗なりければ」、どこに刀を刺してよいのかもわからないほと、直実は困惑してしまう。


これが、たとえ我が子と同じ年のころの少年であっても、ブサイクだったら、迷わず斬っていただろうし、たとえ、かつてはイケメンだったとしても、むさ苦しい中年男になり果てていたら、これも躊躇なく斬り捨てていただろう。


やはり「美」と「若さ」がセットでなければ、助けたいという気持ちが湧きあがらないのだ。

そんな若さと美を兼ね備えた、そして戦場で笛を奏すという洗練された貴族趣味の具現者でもあった敦盛でさえ、東国の荒武者の刃にかかり、儚く世を去ってしまう。


都落ちをした平家一門の一ノ谷(須磨)での侘び住まいについての語りに在原行平の須磨での蟄居(「わくらはに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつ侘ぶと答へよ」)や、それをモデルにしたとされる源氏物語の須磨の巻の描写をダブルイメージとして組み込むなど、さまざまな仕掛けが施されていて、世阿弥の作曲って、本当に凝っている。


最後は、討った者(直実)と討たれた者(敦盛)が仏心を通して和解し、心を通わせる。


『敦盛』は世阿弥の比較的若いころの作品なのだろうか。

そこには人間に対する絶望感は微塵も感じられない。

このころはまだ、世阿弥は人間の善良なる心のようなものを信じていたのだろうか。

たとえ敵・味方であっても、心の交流が可能だと思っていたのだろうか。

佐渡に流された後でも、人間に対する信頼を持ち続けていたのだろうか。


今回の講座は、能楽と世阿弥に対する関心への入口となった、実り多き講義だった。


2012年7月11日水曜日

能楽講座:今日は井筒

水曜日の夕方から、能楽講座第2回『井筒』に行ってきました。



おそらく化繊の縮み風夏きもの。
頂き物なので、丈も裄も短くて、対丈で着ています。

おはしょりゼロなので、着くずれしたら、とーっても直しにくいのです。
ま、暑いから、風通しが良くなっていいかな、と。


帯は、麻混化繊の紗帯。
見た目も涼しげなので、とても気に入っています。


水色のレースの帯締めと、ディープブルーの帯あげ。
寒色系でまとめました。



今日の能楽講座は、世阿弥の複式夢幻能の代表ともいえる『井筒』の講義。

前半は、『新編日本古典文学全集――謡曲集(一)』((小学館)の『井筒』の講読。

後半は、観世寿夫の最晩年の名演をDVDで見ながら、講師の方の解説を聞くというもの。

観世寿夫の『井筒』は、もう、ほんとうに素晴らしかったです。


最後に、井筒をのぞき込み、「見ればなつかしや」と言って、3秒ほど水面を見つめるシーンが
あるのですが、その一瞬のあいだに、万感の思いや過去の記憶、愛しい人の姿、そして在りし日の自分の姿を垣間見る、その井筒の表情が儚く、哀しく、美しい。


能面ってほんとうに表情豊か。

否、名人にかかれば、これほど表情豊かに演じることができるのですね。


じつは、夢ねこは大学時代、劇作家で当時O大文学部の看板教授だった山崎正和先生の演劇学の講義を受けていて、その演習でお能を見たのですが、そのときは恥ずかしながら、途中で寝てしまったのです。(;^_^A
(はっと気づいたときは、シテが激しく舞う終盤になっていました。)


そんなわけで、能の良さがいまひとつ分からなかったのですが、夢ねこも、人生の折り返し地点を過ぎ、酸いも甘いも噛み分けるお年頃になって、能の素晴らしさがしみじみと感じ入るようになったのかもしれません。('-^*)/

講師で国文学研究資料館教授の小林健二先生に感謝です。









2012年6月30日土曜日

単衣おさめ

6月末のコーディネート。




藍色の単衣の夏紬に、白い紗献上(ポリ)。

水色の帯上げに、同系色のレースの帯締め。


今年の6月は比較的涼しかったので、着物も楽勝でした。

でも、7月からは未体験ゾーン。

いつも盛夏は浴衣しか着ていなかったのですが、今年は夏着物に挑戦するつもり。


去年や一昨年は猛暑だったけど、今年はどうなんだ?

とりあえず、チャレンジしてみます♪



2012年6月18日月曜日

安東次男との出会い

梅雨の晴れ間の日曜日、世田谷にある2つの美術館に行ってきた。




最高気温が30度近くになるという予報だったので、しじら織りの着物。

地味めな着物なので、帯は、叔母からいただいたビビットなオレンジの麻の帯。

帯あげと帯締めも完全に夏仕様!

下着はもちろん、筒袖の肌襦袢に半襟をつけただけだから、とっても涼しい(*^-^)b





午前中は、静嘉堂文庫美術館の『東洋絵画の精華・後期』の(至高の中国絵画コレクション)展へ。

宋・元時代から清朝までの中国絵画の名品(国宝や重文)などが勢ぞろいしていて、とても見ごたえがあった。




国宝の《風雨山水図》(伝 馬遠)の、風雨にたなびく樹木の表現は長谷川等伯に、雨に打たれながら足早に過ぎていく人の姿は、歌川広重に影響を与えているように思う。

奇想派と呼ばれる王建章の《川至日升図》や張瑞図の《秋景山水図》(いずれも重文)の、デフォルメされた岩山や樹木の表現、不気味に歪んだ岩山の輪郭などは、曾我蕭白のインスピレーションの源となったことだろう。

実際に若冲は、張思恭の作とされる《文殊・普賢菩薩像》を、「巧妙無比」であると称え、この画を参照しながら《釈迦三尊像》を描いたとされている。

静嘉堂文庫のいいところは、日曜日にもかかわらずそれほど来館者がいないので、これだけの名品をほとんど「かぶりつき」で、じっくりと鑑賞できることだ。
(美術鑑賞は、こうありたいものである。)


それに、受付では8ページにも及ぶ詳細なリーフレットが無償で配布されるのも嬉しい。

主な作品の写真も掲載されているので、後で思い出すのに役に立つ。





午後からは、静嘉堂文庫の近くにある世田谷美術館へ。

世田谷美術館は砧公園のなかにあるので、緑豊かで閑静な美術館だ。



企画展では銅版画家の《駒井哲郎》展が開催されていた。

入口付近に駒井哲郎の写真が展示されていて、鼻筋の通った痩身の美男子だった。
(「イケメン」というよりも、「美男子」という言葉がぴったり。)


駒井哲郎の作風は、その時々で大きく変化する。

ジョアン・ミロ風の太い墨線で描いたような作品が登場するかと思えば、パウル・クレーのような可愛いくて繊細な作品もあり、ルドンを彷彿させるモノクロの少し不気味な作品もある。

特に印象に残ったのは、詩人の安東次男とコラボレートした詩画集『からんどりえ』と『人それを呼んで反歌という』の作品群だ。


安東次男という詩人の存在をこのとき初めて知ったのだが、その詩がとてもカッコイイ!


たとえば;



霙(みぞれ)


地上に届くまえに

予感の折返点があって

そこから

腐爛した死んだ時間たちが

はじまる

風がそこに甘皮を張ると

太陽はこの擬卵を温める

空の中へ逃げてゆく水と

その水から

零れ落ちる魚たち

はぼくの神経痛だ


通行止めの柵を破った

魚たちは

収拾のつかない白骨となって

世界に散らばる

そのときひとは







泪にちかい字を無数に思い出すが

けっして泪にはならない



この安東の詩に合わせて、駒井は骨ばった細長い魚の版画を描いている。

東洋絵画、駒井哲郎の版画、安東次男の詩。

素晴らしい出会いのあった日曜日に乾杯!